先日の伊豆行きの際
ぼんやりと頭に浮かんだのは
じつは、『淡島』だったのです。
何度か近くを通ったことがあるのですが
その形が忘れられません。
変でしょ?
大洋に浮かぶピラミッド???
伊豆七島のひとつに利島ってありましたが
こちらとまるで相似形みたい。
伊豆大島に行った時
この利島(トシマ)は
つねに見守ってくれているように存在していました。
こちらも
まるでピラミッド!
あれれ?
画像検索の途中にこんなものを発見!
淡島 wikiよりの転載です。
日にち未定。
こちらを読んでいたら
帰ってこれなくなっちゃった!
気を取り直し
淡島のお話を。
『ね、淡島って行けないの?』
例によって友人の返事は
『あんなところに行ったって
なんにもないよ。』
でした。
ふうん。
そうなんだ。
でも、
友人にはなんにもなくっても
わたしには大有り!ということが
しょっちゅうあるではないか。
絶対怪しいと踏んだわたしは
アタだのカモだのを調べた後に
『淡島』に関しても調べてみた。
淡島 wikiよりの転載です。
『かつては無人島であり、1940年に第二海軍技術廠の「音響兵器部 淡島臨海実験場」という軍事施設が設置されたが終戦に伴い撤去され、その後少数の漁民などが定住するようになる。
1980年代に東京相和銀行のオーナー長田庄一が淡島全体をリゾート開発することになり、運営会社を立ち上げて1984年に水族館・プール・パターゴルフ場(現在廃止)を中心とした「淡島海洋公園(現あわしまマリンパーク)」が開業した[要出典]。日本では珍しい海上ロープウェー(全長330m、現在老朽化により休止中)や小型船舶を使って本土と往来する。80年代までのロープウェイには、和風の駕籠に似たゴンドラが使用され異彩を放っていた。
1991年には長田のバブルの象徴とも言える超高級リゾートホテルである淡島ホテルが開業した。このためホテル従業員が島内に在住しているが、無人島扱いである。
1999年に東京相和銀行は経営破綻したが、マリンパークに関しては運営会社を移転している。
リゾート開発の過程で弥生時代の遺跡が発見され、土器が出土している。島の山頂には淡島神社が置かれている他、珍しい昆虫なども島内に生息し、散策だけでも楽しめるようになっている。』
そうかあ。かつては無人島で
バブル期にリゾート開発とかされちゃって
…
たしかに
なんにもないのかなあ…
(伊豆半島の観光地は、現在は廃れていまって、見るのに偲びない箇所もたくさんあるんです。)
山頂の淡島神社ってなんだろう。
でも、かつては無人島だったんだから
あとからまた、都合よくしつらえたんじゃないの~?
わたしが惹かれたのは
その『アワシマ』という響きだけなんじゃないのかしら?
そうしたら
いやいや
とんでもないところかもしれません。
そして
こちらのブログさんを見つけました。
なんと!
日本橋の下から???
『淡島神社には伝説もあります。
伝説によると、江戸時代、日本橋の問屋を営む和泉屋ニ平次が、あるとき、
日本橋の下を流れる木箱を拾い、家に持ち帰って中を見ると、立派な弁財天像が現れました。
早速、この像を邸内に祀りました。
その後、二平次が体調を崩して、生死の境をさまよったとき、夢枕に弁財天が現れ『伊豆西南海岸に小島があります。私をその島を祀れば、あなたの命は助かるでしょう。』と告げました。
二平次は、このお告げを信じ、淡島に弁財天を祀ったところ、たちまち病気は平癒したと言われています。
この伝説を裏付けるように、淡島神社の神殿には、和泉屋二平次の名がある七福神の絵馬が残されているとのこと。』
伝説によると、江戸時代、日本橋の問屋を営む和泉屋ニ平次が、あるとき、
日本橋の下を流れる木箱を拾い、家に持ち帰って中を見ると、立派な弁財天像が現れました。
早速、この像を邸内に祀りました。
その後、二平次が体調を崩して、生死の境をさまよったとき、夢枕に弁財天が現れ『伊豆西南海岸に小島があります。私をその島を祀れば、あなたの命は助かるでしょう。』と告げました。
二平次は、このお告げを信じ、淡島に弁財天を祀ったところ、たちまち病気は平癒したと言われています。
この伝説を裏付けるように、淡島神社の神殿には、和泉屋二平次の名がある七福神の絵馬が残されているとのこと。』
こりゃあ、もう
ヤバイだしょ!
というわけで
来月、
リベンジいたします。
日にち未定。
伊豆半島のミステリースポットを訪ねる旅をいたします。
日程が決まりましたら
また、ブログにてお知らせしますね!