話はこうなのです。
山中湖の標高は
980m
忍野盆地の標高は
930m
その差は
50mもあり
山中湖と忍野盆地にあったとされる湖が
ひとつの湖、宇宙湖であった可能性は
ゼロに等しい、
科学的な検知から
Uさんは仰るのだ。
では?
忍野盆地に湖はあったんですか?
それは、旧忍野湖と書いて
『こ忍野湖』と呼んでいる湖はあったんです。
それは?いつ頃?
1万年くらい前に存在していた痕跡があります。
1万年⁈
そんな昔ですか?
その頃には、山中湖はまだ無かったんです。
五千年くらい前に、こ忍野湖が干上がってきて
その頃
噴火により山中湖が形成された…
うーん
私たちが聞いている
『うつこ』の話は
完全に科学的検知からは
間違っているのですね?
でも
未だに忍野村の観光案内には
このように記述されています。
富士山世界遺産構成資産
岡田紅葉氏の
『忍野八海が点在する忍野村全体が、かつては宇津湖(うつこ)と呼ばれる巨大な湖でした。
目の前には何度も噴火をくり返す富士山がありました。
延歴19年(西暦800年)における大噴火において、宇津湖は流れる溶岩によって2つに分断され、忍野湖と山中湖が誕生しました。
やがて、片方の忍野湖は富士山噴火活動期を経て、徐々に富士裾野と御坂山系との狭間を水触、掘削排水され、長い期間の後、ついに湖は涸れましたが、富士山の伏流水に水源を発する湧水池がいくつか残りました。
その代表的な湧水池が忍野八海です。
富士山に降り積もる雪解け水が、地下の不透水層という溶岩の間で、数十年の歳月をかけてろ過され、澄みきった水となりました。
美しく神秘的であり、移り変わる四季に彩られた富士を水面に映し込んだ姿は、訪れた人々に、水本来の姿と護るべき美しさをそっと訴えているようにも感じられます。
忍野八海は、「形状、水質、水量、保全状況、景観、仏教思想(富士信仰)など」の観点から、昭和9年(1934年)に国の天然記念物に指定され、昭和60年(1985年)に、環境庁から全国名水百選に選定されました。
また、平成6年(1993年)には、県新富岳百景選定地にも指定されました。』
岡田紅葉氏の
忍野八海のひとつ
『菖蒲池』
昭和の初め頃だろうか。