勝山の御室浅間神社と
下吉田の小室浅間神社。
どちらも
『おむろ』と読むのですが
もともとは、小室の字を当てていたそうです。
そして
どちらも
富士山吉田口二合目にある
現在は『御室浅間神社』の里宮であると
お互い一歩も譲らない。
そして
どちらも
『流鏑馬』という
馬に乗って疾走しながら
的に弓矢を放つという
古式ゆかしい伝統の祭りを持っています。
勝山は4月29日
下吉田は9月19日
先日行われた流鏑馬神事を
山梨日日新聞がyouTubeでUPしていました。
小室浅間神社で流鏑馬まつり
さあ
どちらも平安時代に端を発するようで
我こそは、本家である、という気迫があり
昔は村どうしの抗争に発展しそうな勢いであったらしい。
この、富士山北麓に繰り広げられる
二つの流鏑馬まつり。
12年もいて、一度も見なかったのに
今年に限って二つとも見物するとは…
やはり、午年の成せる技?
9月19日の夜に
ローカルTVにて、流鏑馬のことをやってます、と
ご一緒したchiさんが教えてくださった。
『朝馬とは神を迎える馬のこと。
夕馬は神を送る馬のことだそう。
昔は龍ヶ馬場という富士山の一合目付近で流鏑馬をしていてた、という事を言っていました。』
へー!
そうなんですね!
吉田口登山道に
『馬返し』という場所があるのですが
そこのそばに龍ケ馬場があると
後から教えてくださいました。
なんだか
龍ケ馬場だなんて
とっても気になるじゃないですか。
勝山の流鏑馬は
馬を四頭くらい使っていたような。
でも、下吉田のは
朝馬と
夕馬の二頭だけ。
それは馬の名前だと思っていたら
なんと、役割の名称だったのですね!
何だか
どちらも充分に正統性があるなあ
そんな気がしてきました。
元々は
小室と呼んでいたものを
御室に変えてしまうのはよくあることだと思いました。
河口湖だって、ほんの数十年まえまで
川口のうみ、だったのです。
麓の船津という地名は
明治時代の地図では
『舟津村』になっていました。
なんでも、大きくしてしまうのですね。
さらには
今日は東京の中学生の富士山清掃活動だってのですが
お仲間のZちゃんから
面白いお話を聞くことが出来ました。
彼女は、御室浅間神社の若いゴンネギさんからのインタビューで
流鏑馬祭りが、平将門の乱の平定に由来すると、突き止めてくださった人です。
続きます。