皆神山の山頂の
富士浅間神社の参道にあった
出口王仁三郎氏の
この石碑の話などを
記しておきたいと思います。
もともとは
皆神山には三つのお社があり
いつの頃か
ひとつにまとめられて
この山頂付近に祀られた。
さらにその上にある
富士浅間神社は
出口王仁三郎の大本教が
設立をされたとのことです。
出口王仁三郎氏は
富士山にこだわっていましたが
この皆神山にも
並々ならぬ思いがあったようです。
『十字形をなせる山』
という表現が
とても気になります。
『 信濃の國松代町の郊外にある皆神山は尊い神山であって、地質学上世界の山脈十字形をなせる地であり、世界の中心地点である。四園は山が十重二十重にとりかこんで、綾部、亀山の地勢と些しも違はぬ蓮華台である。綾部は日本の山脈の十字形をなせる地で、これは又世界的であるだけの違いである。大石凝眞素美翁(おおいしごりますみ:言語論、宇宙論、進化論を含む霊学体系と、神秘的な学説によって、古神道復興と神道霊学成立を為した人物。)は、この地に帝都をおかれたならば萬代不易の松の世を現出することができると主張し、世界中心遷都論を称へて囹圄(れいご:牢屋のこと)の人となった事実がある。眞澄翁ばかりでなく他にもそういう説を唱えた人があるが、最近飛行機が盛んになるにつれて東京は安全の地ではないと云う見地から、信州遷都論が一時或有志によって伝えられた事があるが、まったくこの皆神山は蓮華の心(しん)に当って居るのだから、四方の山々に砲台を据え付けてさへ置けば、如何なる飛行機をもってしても襲ふことは出来ぬ安全地帯である。こんな要害のよい所は、世界中他にない。霊界物語にある地教山は此山である。素盞鳴命(すさのおのみこと)が高天原なる天教山より下り、母神の坐(まし)ますこの山にのぼりたまふた事実も、そっくりあの通り出て来たのである。私は明治三十一年高熊山にて修行中、神懸(かか)りになって、一番につれて来られたのが天教山の富士山と、この皆神山とである。霊界で見た山はこれよりもずっと大きく美しかったが、大体の形は今見るのと些しも違はぬ。眼下に見ゆる大溝地(おおこうち)、あの形に型取って金龍海(大本教内の池)は造ったのだ。十五丁目から頂上まで僅か三丁(1丁=60間≒109m)であるけれど、霊界で一里以上(1里=36町≒3.927km)に見え、神界では百里以上に見えた”世界十字に踏みならす”の御神諭も大いに味はふべき事である。神代歴史にある地名は皆此処にある。天孫の降臨地と云ふのはここの事であって、其昔の天教山(今の富士山)は印度(インド)のヒマラヤ山(地教山)の三倍以上の高さを持って居た事は嘗て話しておいた。(霊界物語舎身活躍子の巻第一章参照)即ち雲表高く聳えて居たので、ここを高天原と云うて居たのである。その高地から降って、この地に来られたのを天降られたと云ふのである。邇邇藝之命(ににぎのみこと)より神武天皇迄は実に百三十六万年の年月を経過して居るのである。』
このように
出口王仁三郎氏は
皆神山のことを『地教山』
富士山のことを『天教山』
と
綴っています。
つまり
対になっている???
何故
皆神山山頂に
富士浅間神社が祀られているのか?
これを読んだら
少し
少し
理解できるような気がしてきました。
そして、何故?
この日に私たちふたりが
皆神山に行くことになったのかもね。
相変わらず
友人は
また、騙されちゃったよ!
と
宣っておりますが。
このお話は
最後に一回だけ
続きがあります。