$ 0 0 湖に映り込む逆さ富士を求めて産屋崎の豊玉姫の祠まで上がってしまったわたしはそれでも逆さ富士が諦めきれずにそのまま自宅近くのいつもの湖畔に行ってしまった。わずかな時間差で凪が終わってしまった。そういつも不思議に思うのだがいざ 凪(イザナギ)といざ 波(イザナミ)はともに海洋民族のコトバのように思える。いざ、波が立つ。水が鏡であるのは凪のときなのだ。水の鏡は天と地の間に存在し天を映し出していく。地は天と相似形なのかもしれないな。すでに凪は終わり漣が立つ。こんなにも馴れ親しんだ愛する河口湖。ここでしばらく離れることになりました。それも、これも何かの意味があるみたい。