安曇族もア族だよね。以前、とよたまさんが書いてたよね。でね、調べてみたら、北九州から来ていて、なんと、島津が出てきちゃったの!
昨日、山中湖のルカさんと電話でおしゃべり。彼女は四月に入ってから松本が気になって気になって、仕方がなかったそうだ。そして安曇野も気になって調べたという。
ア族との関わり。安曇族とは?
そうしたら先月末のわたしの流鏑馬の記事で、今から松本に行きます、と書いてあったので、びっくり仰天したそうだ。
ルカさんは感知する人。
わたしは動かされる人みたい。
さて、安曇族の話ままた置いておき、
もうひとつの『ア族』
先日行った芦川は、なんと足利とつながってしまったのだ。
鎌倉幕府を倒した足利氏は
室町幕府を開き
絢爛豪華な時代を築いたが
やがて、どの時代も同じように近親通しでの争いが生まれる。
足利十一代将軍の
足利義澄が十代との軋轢で、この地方に
逃げ延びた。
ともに清和源氏の血を持つ武田と足利は
同胞意識があったのだろう、
武田は足利義澄を匿った。
そしてこの地、
芦川は、
足利を隠した地名と伝えられている。
ASIGAWAと
ASIKAGA
これは、アナグラム!
こんな記事を見つけました。
http://1st.geocities.jp/minohazz/shiseki-shousai//ff052/ff052.html
『だからとってもちなみに武田信武は足利尊氏の姪を妻にするなど、足利氏に信頼され深い関係にあり、甲斐と甲斐武田氏は足利氏と深い関係を築いています。芦川の地も甲斐武田氏と関係が深い向嶽寺の末寺(長徳寺も臨済宗)があり、甲府盆地にある向嶽寺派聖応寺には、この地から武田氏より寺領が寄進されています。芦川地区は甲斐武田氏が直接関与できる地であったと考えられてもいます。
そのような地で大勝氏・宮川氏が、今一度の復興を夢見て足利義澄の墓所をこの地に建てた・・・。意外にも、実際なにか足利氏と関係がありそうなので、驚きました。このほかにも足利氏とその近臣に関する伝説が多く残され、とても怪しい芦川地区でした。
なお、「芦川(あしがわ)」という地名、一説には「足利(あしかが)」を隠した地名であるとも言われます。』
おおお!