山梨市の塩山のことを書いていたら
塩山出身なんです!
と言う読者のかたが三人も
立て続けにメッセージをくださいました。
わたしでも、逆だったら
つまり自分が生まれた土地のことを興味を持ってかいてくれるブログがあったら
何だか嬉しくて、やはり
メッセージかコメしちゃうかもしれないですね。
山梨県民になって12年。
不思議の国、日本の
富士山のお膝元、甲斐の国は
知れば知るほど謎だらけで
ますます目が離せません。
前回の[差出の磯]の時
甲府盆地が甲斐湖という大きな湖だった話が出ましたが
http://s.ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-11797780634.html
東山梨郡誌には、昔、偉大な王がヤマトからやって来て、甲斐湖の一部を裂いて
水を富士川に流したので
現在のような豊かな盆地とつたえられています。
これはどうみても、出雲系かヤマトの農耕民族の王なのですが、その王が神として祀られている、佐久神社というのが中道往還の辺にあるようです。
ここ
なんと菊の御紋なんだそう。
なんと、明後日春分の日が例大祭!
巫女舞も有るみたい。
佐久神社由来
祭神 向山土本毘古王は彦火々出見尊の後裔にて、日向 の国高屋御殿にて御誕生せられ日向土本毘古王と号せられ た。長じて第二代綏靖天皇の大臣となる。後に甲斐の国造 に任命され、臣佐々直武、長田足、円後辨尼、其の他衆多 の臣及千人の人夫を引き連れ、甲斐に御入国せられる。 (BC五六一年)其の頃甲斐の中央部は一面の湖であり、こ の湖水を疏導する為、土地の豪族苗敷山に住める六度仙人 (去来王子)姥口山に住める山祇右左辨羅などの協力を得 て、南方山麓鰍沢禹の瀬の開削により、水を今の富士川に 落し、多くの平土を得、住民安住の地を確保した。其の功 績は偉大であり、甲斐の大開祖として崇められた(工事 着手BC五五四年、三ヶ年後完成)。王は第四代懿徳天皇、 四年八月十四日薨去せられ(BC四七二年)大宮山(古宮の 地)に奉葬す。後に雄略天皇二年(AD四五八年)土仏築山 に改葬せられる。今の天神山古墳之なり
とまあ
この向山さんの功績が綴られています。
現在でも向山さんという姓は甲府市を中心に、沢山いらっしゃるみたい。
この佐久神社の周辺には
三世紀に始まる古墳が沢山見つかっており
この、土木卑古さんのは、天神山古墳だそうです。
さて
この中道往還というのは
甲斐国から駿河国を繋ぐ古道なのですが
そこに
ウバグチ(左右口)というとっても変わった地名があり
ここをガイド仲間と通る度に
ウバグチ談議になるのです。
そうしたら
このどうみても弥生人の向山さんを
案内した先住民がいたんですね。
その名は
やまつみ『ウサベラ』!
これはどうみても、ヤマトびとの名前ではない。
彼は向山さんを案内した功績で
神として祀られました。
この時の神社名が
ウサグヂ!
ウサベラが何故
ウサグヂになるのか?
また、大胆なわたしの仮説です。
彼の名はウサベラ
彼が祀っていた神が
ミシャグヂだつたのではないかしら?
御石神。
つまり、あの
縄文の石棒。
そしてそれは、大蛇ともされる。
甲斐の国には
甲斐湖に住んでいた大蛇を
ヤマトの向山さんが退治したという伝説があります。
これって全国各地にありますよね。
実際はウサベラ率いる先住民は
ヤマト政権によって退治された。
あるいは
プレアデスとカシオペアの戦いが
この地であったかもしれません。
河口湖から大石の若彦路トンネルを抜けて
精進道を抜けると
左右口公園という桜の名所があります。
今年は
久しぶりにお花見に行こうかしら
ウサベラさんに思いを馳せて。