昨日の海老原よしえさんのライブコンサートは
今日、3・11に標準をあわせたもののようでした。
あれから3年という区切りに
「けして忘れてはいけないこと」
「あれから何が変わり、何がまだ変わってないのか」
「これからわたしたちはどこに向かうのか」
ひとりひとりが心のうちで
またコンサートが終わってからのシェアリングでは全体で
再確認と再構築をしていくという
わたしにとってもたいへん貴重な時間となりました。
海老原よしえさんは約一年前に行なったコンサートの記事にも書いたのですが
「歌がおりてきたよ」
ご自分で歌を書くのではなく
どこからか降りてくるのです。
一時ジレンマに陥って、もう歌えない、と仲間にいったとき
「よしえちゃん、それは自分の歌だと思っているからなんだよ。
そうじゃなくて、みんなの歌なんだ」
そういわれて、急に吹っ切れたのだそうです。
そうだ、これはみんなの歌なんだ。
これはものすごくわたしにはわかります。
過去に樹海の富士風穴によしえさんを連れて行ったことがあって
そのあと、お礼に、といって車にギターを取りに行き
樹海の入り口で歌ってくれたことがあり
「その歌」はCDにも収められていない「わたしの歌」なのです。
都会の森の中から本物の森へ
ここに来ることを自分で決めた
もっと言葉はステキなのですが
およそそんな歌です。
よしえさんの歌を初めて聴いて
自分でも心の琴線をめちゃくちゃかき鳴らされて
ベーベー泣いてしまったのが昨日のことのようです。
2003年にその歌を樹海の中で歌っていただいたとき
観客はたったふたり、わたしとIクンでしたが
偶然にもIくんとわたしは2002年に東京、中目黒から富士山北麓に移住
(東京ではすぐ近くに住んでいたにもかかわらず、あったことはありません)
よしえさんもまったく同じ時期に池尻大橋から信州伊那に移住していたのです。
中目黒と池尻大橋の位置関係をご存知のかたがいらしたら
驚かれるかもしれませんね。
富士山に来てからはこんな風な
「うそ~!」な出会いがたくさんありました。
よしえさんはコンサートの曲目リストを予め決めることができないそうです。
それはその日の観客のエネルギーでどの曲を歌うかを決めるとのことで
それも自分で決めるのではないようです。
その日のコンサートの一曲目は
あのときの歌でした!
わたしはよしえさんのCDを全部持っていて、車の中でそれを聴いています。
CDに入っていないのに、イントロから あ、この歌からはじまるんだな、と思い
でもなんだっけ、なんだっけこの歌、と思いながら
最初のフレーズで森、とでたので
そこからまた涙が溢れて溢れて、それは恥ずかしいくらいでした。
やられた!
この歌はわたしの細胞の中でずっと生きているんだ!
この歌はわたしそのものなのだ!
そのように感じたのは生まれて初めてだったのですが
曲が終わったあとのトークでは、私を名指しであの時樹海を案内したお礼を言って下さったので、直感が間違っていなかったと思い、また泣きました。