たしかこんな記事を書いた。
明治になるまで日本には
自然という言葉がなかった。
自ら然ずる、
例えば自然薯なる言葉はあったが
あくまでも栽培の山芋と区別する言葉でしかなかった。
明治になつてから
英語のNETUREの翻訳語としてあてがわれた言葉。
『自然』
それではそれ以前にはこの世界を何と呼んだか?
ただ、『花鳥風月』
あるいは、『雪月花』
それは私たちの世界そのものだった。
センターの窓ガラスには
猛禽のシルエットの切り紙が貼ってある。
野鳥たちが窓ガラスに映った森に逃げ込もうとして、ガラスに衝突して死んでしまうのを防ぐために。
ガラスという不自然なものから森の命を守る工夫。
秋になると周辺の木々の中には
春から夏に使われた野鳥の巣が見つかる。
それらは一年限りの雛育ての営みの証し。
鳥の巣を見つけて、ワクワクしない人はいない。
それはあまりにも精巧に作られた慈しみ深い愛のオマージュなのだから。
さて
今日はリスにだってなれるんだ。
リス変身グッズコーナー
尻尾と耳と手袋!
それを一式つけて
わたしはぴょんぴょん飛んでみた!
もっともそれをやったのはわたしひとりだったけどね。
尻尾と耳は私たちが退化させてしまった
羨ましいアイテムだ。
もう一度それを手にいれて森を走れたら
どんなに愉しかろう。
もっとも冬の森はそんなに甘くはないかも知れない。
お腹もすいているし、いつ天敵が襲って来るやも知れない。
でも
命の織りなす織物の綾の中に
確実に生きているんだ。
日々を生きるというのは
かようにエキサイティングな営みなのかも知れない。