ここのところ話しがあっちゃこっちゃ飛びますが
「一件落着」という感じになってきたので
落ち着いて整理してみたいと思います。
先週、「陰陽師」というタイトルの記事を書いたんですが、
あれを書いたのは、2月10日と2月17日の二週にわたって
映画版「陰陽師」のⅠとⅡが相次いで放映されたことによるものではないんです。
その二日後、2月19日に不思議な京都の夢をみて、最後にミツウロコの紋が出てきたので、京都とミツウロコが何か関係がないかと探していたら、ある方から「葛の葉稲荷にミツウロコが印されていている」と教えていただいた。
そちらを検索してみたら、正式には「信太森葛葉稲荷神社」という大阪の和泉市葛の葉町にある、安倍清明の母を祀った神社でした。「葛の葉伝説」という清明の母が白狐であるという伝承に基づくものということ。そこにミツウロコ???
それでいっきに興味が湧いて、今までなんだか遠ざけていた、「安倍清明」と「陰陽師」をがっぷりと調べてみようかな、と思ったのです。
大雪で閉じ込められていたしね。
それがここまでのあらすじ(?)です。
さて、清明といえば、あまりにも有名なこの清明紋
「五亡星」は陰陽五行の「木、火、土、金、水」という万物を司る要素からきているといわれています。
わたし達はこの陰陽五行などをすでに暦などに取り入れていますよね。
例えば今年は「甲午(きのえうま)」 ですが、これは五行の木、陰陽では陽、十二支では午ということで、「大樹の午」を現すのです。
またもや脱線。
それでは陰陽師とはどんな人たちなのでしょう。
もともと陰陽五行思想は中国から来たものですが、大陸には「陰陽道」 という言葉はないそうです。
これは日本に渡ってきてから作られた「道」であり、「師」ということのようです。
そして「道」とは、思想体系のことだそう。
調べていくと、陰陽師とは、お抱え占い師のようなもの、との説明がよく出てきますが、国の政りことには無くてはならない大切なこと、例えば都を移す時期と場所、天皇の行幸から結婚からその方角などを決める。仙術や祓いを行なう。五穀豊穣を祈願する。
といった重要な官職、つまり今でいう国家公務員なわけですね。
その「陰陽師」は実は明治になるまで存在していたというのは驚きでした。
江戸城の無血開城で、時代が明治に突入したとき、陰陽道は「文明開化のさまたげになる」とされて明治政府により禁止されました。
その結果、陰陽道は廃れていきます。
そしてその時にたくさんの日本の文化が破壊されています。
「神仏分離令」などもその例で、各地でたくさんの仏教施設や仏像などが破壊されました。
映画「陰陽師」のキャッチコピーに「闇が闇として存在していた時代・・・」 というのを見かけますが、
まさにそれは江戸時代が終わるまで存在していたのであり、
目に見えないものの存在を信じていた日本文化が成熟する長い時間だったように思えます。
縄文と江戸時代は似ている、と利理さんというかたがおっしゃっていたけど、何故なんだろうと思っていましたが、最近はなんとなくそれが理解できるような気がしてきました。
争いが無く、平和的に庶民の文化が爛熟したところがでしょうか。
今何故こんなにも日本の文化について興味が湧いてきたのかも、わたし的に、なにか意味があることのような気がしています。
さて
次は「安倍清明」その人物に迫ってみたいと思います。