さて
代官山にはどんな秘密があるのだというのだろう.
わずか一日前
2月24日のこと。
墓参りのあと、一日泊まった姪と
普通に「水琴茶屋」でランチしていたのだが
あの「姉の代官山のトンネル」の話しになった。
「あそこね~。
うんうん、すごく不思議な感じだったね。」
今回わかったことは
その姉が経営していた店と、そのトンネルは
ほんとうに目と鼻の先にあったということだった。
ここが店だとするでしょう。
そうしたら
トンネルはあそごくらい。
そういって
姪は水琴茶屋のドアを指差した。
正面というよりは
はす向かいと言った感じだろうか。
姉の店がそこにあったのは
2002年から2007年くらいだったらしい。
姪は高校を卒業してから、大学にも専門学校にも行かずに
その代官山の店を手伝っていたそうだ。
そうだ、というのは
わたしたちは富士山に移住してしまって
そこから法事でもない限り帰ることはなかったのだから。
あのトンネルよりね、
姪は話し始めた。
そこをね、ハリランのほうにいくと
「XXやのやっている本屋みたいのがあるの。
そこは以前駐車場だったんだけど
そこの公園みたいなところが
わたしはよっぽど感じたなあ・・・」
「そしたらさ
そこは、徳川のなんだっけ、なんだっけ
お屋敷?の跡みたいだったよ。」
きゃ!
でた!!!!
徳川?
あんなところに徳川のお屋敷跡????
ほんとに?
「そう、そこがとても気持ちよかったの。
なんだかグワングワンするの。
だから、よく行ったんだよ。」
ふうん。
姉はトンネルがすごいという。
姪はその公園がすごいという。
どちらもそんな話しをするような人物ではなかった。
何かがきっかけとなって
いままで話さなかったことを話してくれている。
そんな気がした。
姪が東京に帰ったあとも
わたしは気になって
気になって
またしても仕方が無い。
ところが
昨夜は、上手く検索が出来なくて
スマホもPCも駄目で、どうしても
その代官山の○○やの徳川家の屋敷跡にはたどりつけない。
そんなときには何をしてもどうしようもない。
それでおとなしく寝た、
今朝
何かに掻き立てられるように
検索してみたら
やっぱり!!!!
そこは確かに徳川家水戸藩の屋敷跡だったけど
なんの上にそれが建てられていたのか?
そして何故、姪がそこが好きだといったのか
なんだか、分かってしまったのだ。
「アースダイバー」とは
「東京はどこを掘っても縄文遺跡が出てくる」
と、イタリアで豪語してしまった哲学者の中沢新一氏の著書のタイトルだけど
やはりそこには
縄文の石組みがあったに違いないと
わたしは何故か確信した。
江戸、平安京と途方も無いことに頭を突っ込んだ気がしたけど
本来のわたしのホームグランド
「縄文」に
やっと、戻ってこれた。
そんな安堵感でわたしはいっぱいになった。
(その代官山XXやのHPより
私たちが「文化の森を創ろう」と考えたこのプロジェクトの始まりから、
その場所は代官山以外に考えられませんでした。
いくつもの理由がありますが、何よりもまず、代官山の地に眠る物語に惹かれたからです。
中沢新一氏の著書『アースダイバー』(講談社)によると、
縄文時代の東京は非常に入り組んだ入り江になっていたそうです。
その時代の渋谷は海。一方、代官山は陸地で、人々は暮らしを営んでいました。
渋谷と代官山の間には位相の違いがあり、当時からここは山の手であったことが伺えます。
時代を経るにつれて、その地勢の良さが歴史と物語を育んでいきます。
古くから武家や大きな商家の屋敷が並び、
その後、諸外国がここに大使館を建てるようになりました。
由緒正しい土地柄にさらなる品格を加えたのは、
代官山のランドマークともなっているヒルサイドテラスです。
朝倉家と建築家・槇文彦氏により、30年もの年月をかけて作り上げられたヒルサイドテラスは、
街の顔つきと雰囲気、そして街の文化を丁寧に醸成していきました。
向かいにはデンマーク大使館とエジプト大使館が、
そしてヒルサイドテラスの隣に位置しています。
基礎工事中には巨石がいくつも掘り出されました。
水戸徳川邸の庭にあったものではないかと言われていますが、出自は謎に包まれています。
この中のいくつかの石を、私たちは敷地内に置くことにしました。
代官山XXXを訪れた際には、この寡黙な石の物語に耳を澄ませてみてください