さて
ここのところ
江戸と富士の関係がとても気になっています。
江戸時代には富士山信仰は黄金時代を向かえて
富士講という富士山信仰のもとに
関東地方の富士山が見える場所を中心として
たくさんの富士塚が築かれました。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~fujisan60679/tokyo.html
来週はミミの十二年ぶりの御誘いで
東京に行くことになったので
またあの若くて毎日夢中に生きてきた時代のことを
思い出してしまいました。
それでは以下は
ココロの旅的
回想録となります。
(それが富士塚とリンクしてしまうのです。)
1980年代に
スカバンドをやっていた当時の遊び仲間のまっちゃんの家が
現在は代官山にあり
そこに西麻布のイベントを主催するヒロが泊まるということで
(イベントは2月15日)
わたしは15日にはとても行けないので
16日にみんなで代官山にランチをしましょうとなった。
それは来週にせまっている。
「スカ」というのはあのころみんながはまっていたリズムだった。
ジャマイカ由来の1960年代にイギリスで進化した音楽で
いわゆる
「ンチャ、ンチャ、ンチャ、ンチャ」というツービートのリズムだ。
このリズムを肩でとるのか
腰でとるのかでダンスは大きく異なる。
他のダンスもそうだけど
白人は肩でとり
黒人は腰で取るものだから
一緒に踊ると
ヒロがよく嘆いていたことには
「オレが沈むと、みんなが上がるんだよねえ~」
それでも1拍違えばそれですむのに
大概は半拍ずれていく。
あららら
話しがまた暴走していってしまった。
何が書きたかったのかというと
20代のわたしは若くして離婚して
新宿の実家にもどらずに、
原宿で2年、青山で2年
一人暮らしをした。
そのころ
千駄ヶ谷に住んでいたミミとは
一番仲がよかった友人だったかもしれない。
ミミは料理が上手で
よく日曜日には「うちでご飯食べない?」と
ユウヤやヒロやわたしが集まってご飯をいただいた。
今日、富士塚が気になって
検索をした。
そうしたら!
江戸の中で一番古い富士塚が
なんとこのミミの家のそばの
「鳩森八幡の富士塚」だったのだ。
http://www.hatonomori-shrine.or.jp/index.php?id=74
しかも八幡神社としての創建は貞観2年。
平安時代の初めころ
富士山貞観噴火よりも四年前ということだ。
そして現在は東京の富士山といて
パワースポットになっているらしい。
もちろん当時「スカ」なんかで踊っていたわたしたちは
「富士塚」なんて興味があるわけはない。
富士山にさえ興味は無かった。
しかし
これもなにかの提示のように思えてきた。
江戸で一番古い「富士塚」鳩森八幡
ここも次の江戸めぐりに入れる必要があるかもしれないな・・・
なんとなく
そんなことを思った。
またまた
暴走というか
爆走をしそうなわたしです。
富士塚とは 江戸時代に浅間信仰の信者が富士講社を作り、江戸庶民の間に富士山信仰が爆発的に広がり、江戸八百八講と言われるほど増えていきました。
もう一度
富士塚を調べなおそうかな。