一番行きたいところ(シーサンパンナ)には行けなかったけれど
それはここに行くべき理由があったからだというのは
実は今日までわからなかった。
1989年
今から25年も前の話を
記憶の糸と手繰り寄せつつ書いていることは
何の意味があるのだろうご思いながら
ときどきやめたくなるのだが
思い出しつつ調べていくと
今、ここに自分がいることの意味が
あぶり出しのように浮かび上がってきた。
中国での最終目的地は
雲南省 麗江(リーシャン)
玉龍雪山という霊山の麓
ナシ族という少数民族が住んでおり
漢字以前の「トンパ文字」という
独自の文字を持っているらしい。
(美しい玉龍雪山の画像)
聖なる山
「玉龍雪山」の麓にスキー場ができる計画をわたしはその後新聞で知り
その後大きな地震がこの村を襲ったことを知ったときは
神の怒りではないかと思ったが
それは
この旅から帰ってきて
かなり後、1996年の話だ。
さて
ここの「ナシ族」
北斗七星信仰も根強く、背中に七つの星をつけていたこの人たちの写真を
わたしはたくさん写真を撮らせていただいたけど
他の少数民族の人びとのように写真を撮られることに慣れていなかったので
ときどき断られたり怒られたりした。
それが大理などの他の村の少数民族との大きな違いだった。
中国での旅は
わたしたちがもっとも少ない少数民族であると見えて
写真を撮っているわたしたちの回りに人垣が出来た。
奥に行けば行くほどそうなったのだけど
ここの麗江だけは、外からの人間を遮断しているように思えた。
だからこそ、独自の文化と文字を現代まで有していたのだろうか。
(Wikiより)
ナシ族は元来母系社会の一妻多夫制 で、家庭などでの女性 の地位が、男性と平等とまでは行かないが、比較的高い。それを表す一例として「祖母部屋」がある。これは一家の女家長である最年長の女性が住む部屋で、ここに先祖の祭壇などがあり、家内の未成年はみなここに住むことになっていた。現在でも古い家にはこの部屋があるという。ナシ族は基本的に自然崇拝 であるが、チベット仏教 の影響も多く受けている。ナシ族の町でチベット仏教の建物は重要な位置を占める。麗江には小川がたくさんあり、中州に生命や死んだ人などを祭る色とりどりの祭壇がある。
ナシ族の持つ「トンパ文字」では
男は小さいを現すのは、この母系社会の賜物だろうといわれている。
このキッチュなわたしたちを狂喜乱舞させた「トンパ文字」も
その後日本でコマーシャリズムに乗り
たくさんの人びとの目に触れるようになった。

トンパ文字を検索したら
たくさんのブログに行き当たり
その中で世界が今抱える「世界遺産」の抱える問題に行き当たる
ある記事に出会った。
その後1997年に「麗江」は世界文化遺産となっていたことを
わたしは今日初めて知った。
富士山に来てからは
このヒマラヤに程近い小さな村のことを
わたしはすっかり忘れていたのだ。
(少々長い引用になるけれど、こちらの記事は現在の世界遺産が抱える地域に巻き起こる葛藤が表現されていて興味深い。)
<電網写真館「神虎の棲む山」さんよりの転載>1997年の話
翌日古城をぶらついていると、ある一角では、建築ラッシュといってもいいほどコンクリート製の箱型ビルが壊されて、ナシ族ふうの木造建築に立て替えられていた。20人もの男が、木を組んだ建物の側面 をロープで引っ張って、垂直に立てている。
「イー・アル・サン!・・・イー・アル・サン!」
勇ましい掛け声が響いていた。
木製の脚立の上では、男が壁に白いペンキを塗って化粧直しをし、天秤棒の両端に下げたブリキのバケツで水を運んできた老婆は、砂を混ぜたコンクリートのカルデラ湖のように窪んだ穴に、水を注いでいた。一見、地震のあとの復旧工事のようだった。
おなかがすいたので古城の外に出て適当な食堂に入り、油炸排骨(揚げたスペアリブ)と、トマト・玉 子のスープと御飯を頼んだ。店の奥さんが、ガラスコップに緑茶を持ってきた。
料理がすべて運ばれてきたので食事を始めると、私が外国人だと知ってか、厨房から30前後の主人が出てきて、私のテーブルの反対側に座って、お茶を飲み始めた。そして私に日本人か?と聞いた。私はそうだと返事をして、熱々の排骨を割り箸でつまんで口に入れ、肉を食べたあとの骨を床に吐き捨ててから聞いた。
「古城は大変な建築ラッシュですね? 地震のせいですか?」
「あァ、あれかい? 地震のためじゃないんだよ。地震の震源地は拉市あたりだったし、麗江の町自体の被害はそれほどなかった。そして地震から11か月も過ぎているんだから、復旧工事も終わってしまったしね。あれは世界遺産の登録を目指してのことなんだ。視察団はもともと去年来るはずだった。その時地震になってしまい、1年延びたというわけさ」
「世界遺産て、世界文化遺産のことですか?」
「そう。今年の末に登録されるかどうか決まるらしい」
「世界遺産になったら、ますます観光客が増えて商売繁盛ですね」
私がそういうと、主人は難しい顔をして、
「テレビでは毎日のように、世界遺産になることを地元の人たちはみんな期待しているなんてやっているけど、お金のない俺たちは歓迎なんかしていないよ。文化遺産になったら、麗江は有名になるかもしれないが、お金儲けしようと、大資本のホテルやレストランができて、俺たちのような個人でやっているこんな店は、衛生上よくないとか何とか、いいがかりをつけられて、閉めさせられるかもしれない。お金が入るのは金持ちだけで、ただ物価と税金が上がるばかりだし、苦しむのは、俺たちのような貧乏人さ」
どうも日ごろの胸の内にたまった鬱憤を、この主人は外国人に喋ることで解消しようとしたようだ。
「トンパ文字
だってそうなんだ。そこらの土産物屋で売られているのは偽物、コピーだよ。土産物屋の大部分は、外からきた漢族たちで、ナシ語もわからず、ただトンパ文字の写 っている写真集か何かから文字だけ写して売りものにしている。自分かってに描いているから、同じ『空』を表す文字だって、描く人によって違った文字になっている。なんか俺たちナシ族はバカをみてるっていう気がするよ」
ナシ族には、結婚式、葬式、病気を治す、邪気を払う、吉凶を占うなどの時に儀式を行ってもらう習慣があった。その儀式を司るシャーマンがトンパ(東巴)と呼ばれ、そのときに使う経典の象形表意文字がトンパ文字
である。
日本でも、このナシ族のトンパ文字が、カシミヤセーターの新聞広告に大きく使われたことがあった。山を表わすとんがり頭の栗の形をしたトンパ文字を中央に配し、右上にカシミヤヤギの写 真。何をかくそう、その山羊の写真を撮ったのは私である。
今ではトンパ教という宗教はほとんど廃れ、宗教と文字は切り離されて、単純に形がおもしろいとか、アートとして見る見方も出てきた。その見方が、この時代に合ったからこそ、外国人にうけて麗江の土産物にもなっているのだった。だから、何が本物で何が偽物かと判断するのは難しくなっている。
そのトンパ文字を土産物としているのが、ナシ族よりも、他の民族の商売人が多いということを主人はいいたいらしい。ナシ族には他民族に商売のうまみを持っていかれるという危機感があるのかもしれない。
「偽物のトンパ文字を、だれかが取り締まったりということはないんですか?」
と聞くと、
「ツーリズムの発展のためには、何でもありなんだよ。けっきょく、金にさえなればナシ族の文化なんてどうでもいいのさ。売れるものならなんでも売る。魂さえ売ってしまう」
捨て鉢に言い放つと、私たちの会話を聞いていた奥さんの顔を窺った。あまりそいういうことを大声でいわないでと奥さんは目で訴えているようだ。
そこへ愛くるしい女の子が出てきた。彼は3つになるというその娘を膝に抱いた。彼はナシ族だが奥さんはペー族だという。すると子供は自分の民族としてペー、ナシどちらでも選べるらしい。
「ナシ族、ペー族、どっちがいいんですか?」と私は聞いた。
「どっちも駄目さ。やっぱり漢族が一番いい」と主人は答えた。
「でも、少数民族は優遇されているでしょう?」
「チベット族や、イスラム教徒のホイ族は、外国のうしろだてがあって、政府も怖がっているから優遇しているけど、この麗江に住むだけの27万のナシ族が反乱を起こせるはずはないし、だから優遇して機嫌をとる必要もないのさ」
彼は喋っているうちに、だんだん興奮してきたらしかった。私はどう返事を返せばいいのか思案にくれた。私の困った顔を見て、気を取り直すように、
「そういえば・・・」
といって、重なりあっている屋根の隙間を指差した。
「なんですか?」
彼が指さすさす方を見ると、隙間から玉龍雪山が見えた。
「あれだよ。不思議だよなァ」
彼はホウロウびきカップのお茶を一口すすって言葉を続けた。
「雪が少ないんだ。夏でさえ、今までこんなに雪が少ないことはなかったよ」
私は、そうかと気がついた。今回麗江に着いたとき、バスから見た雪山に何か違和感を感じたのだったが、それが雪のない山だったことにようやく気がついた。
雪のない雪山・・・。
確かに見慣れた山は、いつも天辺に雪が被っていたのである。何度となく写真を撮っていたはずなのに、どうしてあのとき気がつかなかったのだろうか。
「地震と関係あるのかな」と主人はいった。
「えっ? 地震で雪がなくなったんですか?」と私は聞いた。
「そうさ。地震のあとに雪がなくなったんだよ。このあたりの人間はみんなそう信じている。そういえば、雪山の麓にスキー場を作ろうとしているらしいんだが、雪がなくなっちゃァ、スキーはできないよな。スキー場なんかいらないって、天の神様が我々人間を諭しているのかもしれない。これは天罰だよ、きっと」
そういうと、彼は皮肉な笑みを浮かべた。
「この人ったら政府のやることなすことに反対するんだから・・・」
奥さんは困ったような顔をして、あたりを見回しながら小声でそういった。
http://www.asia-photo.net/yunnan/pref/lijiang/lijian1.html
ここではまるで100年前の中国を歩いているような
映画のセットのような懐かしい風景に幻惑された。
しかしここにはある種の「中央から虐げられて人びとの暗さ」のようなものが漂っていた。
それでもこの近くて遠い国の
このあまりの非日常感覚をわたしたちは多いに楽しみ
屋台で売られているものをほおばりながら町を歩いて
「北斗七星」を現す七つの丸い刺繍の民族衣装をお土産に買ったりした。
そこで
ある人物
有名な「ドクター・ホー」に出会うことになる。