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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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富士の裏鬼門へ その一 「機織(はたおり)の神」

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いやあ
まだ年が明けて二日目です。


それなのに
完全に動かされてしまってます。


思えば、昨年だって、
1月2日に広島からロミさんとNさんがやってきて
怒涛の展開となったのでした。


正月休みはわたしにはないんかい?
って
遊んでるじゃないの~!
ごもっとも、ごもっとも・・・


今日は友人と「富士宮」に行きました。
「三が日」に富士宮に行くのは別に珍しいことではなく
ガイド仲間はけっこう「三が日」をもてあましていて
わたしのところもそうなのですが
パートナーが観光業だったりすると
相方が家にいないので
暇だったりするんです。


毎年元旦は恒例の「ダイアモンド富士」で
北麓にいるのですが
二日、三日となると
けっこう南麓に移動したりして。
それともうひとつ。
何故かお正月はお寿司を食べたくなるのですね。
夜ともなれば彼が帰ってくるので
おせちを用意して三が日を過ごします。
でも
昼間はけっこう暇!
それで静岡側にお寿司を食べに行こう、ということになりました。


ルンルンと支度をしているわたし。


そして
そこはぬかりなく
以前紹介した
「富士宮歴史散歩」(遠藤秀男著)をバックに忍ばせてまいります。



出掛けにぱっと開いたら
以前紹介した「おびん水」!
そうだよねえ、
白糸滝!おびん水なら帰りになんとなくよれる距離かもしれません。


長谷川角行や頼朝などにまったく興味のない友人も
ついでによるのなら、
上手く連れて行けるかもしれません。


さて
お寿司を食べながらわたしは
「富士宮歴史散歩」の本を取り出し


ね、おびん水に行って見ない?
おびん水、おびん水!


そうしたら、ネーミングが悪かったのか・・・


「なにそれ、行かないよ、そんなところ!」
と言われてしまったんです。


まあいいか、再来週研修でいくことになっているんだから。


じゃあさ


わたしは地図を見せます。


例の
十一面観音のご開帳が行なわれるという
謎だらけの「星山観音」!!!


「ねえねえ
ここって近い?」


「ううん、10分くらいかなあ・・・」


じゃあさ、寄ってもいい?


すでに二時半。
すぐにカーナビにセット。


「星山観音」では見つからない。
それでは
「大悟庵」で探したら、すぐにヒット。


ところがところが
そのお寿司やさんから国道を南下していくと
富士宮の浅間大社のすぐわきを通るんです。
ときは正月二日。
初詣のひとびとで車も人もごった返しています。


こんなにそこが浅間大社に近いなんて距離感がなくて
まったくわかりませんでした。
善男善女が破魔矢などを持って
お詣りの帰り時刻。


そんな日に浅間大社をスルーして
十一面観音がまつられているという「大悟庵」に向うわたしたち。


なんとなく友人は機嫌悪くなってきました。


「もう帰ろう。」


え~まってまって。もう少しだから~~~~。


正面が
「星山」という小高い丘陵らしい。
そして
「大悟庵」の→が。


だあれもいない駐車場。
さきほどの浅間大社とはうってかわった静けさだ。
しかしここには
境内に「倭文神社というとんでもない古い起源をもつ神社を祀っているのだ。


ついたとき
わたしはこの位置関係にまず驚いた。


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駐車場からの富士山。
白い雲がかかってしまったが
これはこれとして神妙な感じだ。


わあ
ここはまさに高台で
富士山の裏鬼門。


さて
ここにある「倭文神社」はかなり変わっているらしい。
「富士山歴史散歩」によると・・・

「星山の大悟庵は境内にかわった神社を祀っている。
その名を倭文(しずり)神社という。
平安時代の「延喜式」に名を出している古社で
いわゆる富士三社のひとつなのだか
ほとんどその存在は忘られつつある。」
(注 富士三社とは・・・富士宮浅間大社、福知神社、倭文神社)


「里人のわずかな記憶によれば、大昔、アイヌを征伐にきた武将をそこに祀ったのだという。」

うわっ
妖しいですね。


Wikiによれば

倭文神社(しとり、しずり、しどり、しとおり)という名前の神社 は日本全国にある。

いずれも機織の神である建葉槌命 (タケハツチ。天羽雷命・天羽槌雄・武羽槌雄などとも)を祀る神社で、建葉槌命を祖神とする倭文氏 によって祀られたものである。その本源は奈良県 葛城市 葛木倭文坐天羽雷命神社 とされている。しかし、絹織物の技術は仁徳天皇により導入振興されたとされるも、崇神天皇期(10代)にその創始を唱える倭文神社もあり、日本(倭)においていつ頃どこで絹織物が発達したかを考えるうえで、この神社のある場所や由緒は貴重な 資料といえる。

延喜式神名帳 には以下の社名が見える。


機織の神・・・

でちゃいましたね。

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うわ・・・
なんだか好き。
この雰囲気・・・・

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でかいでかいご神木。
昨日の大杉さまにはかなわないとおもわれるが
800年くらいたっているのではないかしら?

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{F1AE5401-D682-4E9A-93D0-72828D1E7F1C:01}

どなたもおまいりしていない。
ここにわたしが来ることになったのは
またしても
用意周到ななにかの計らい?

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お社と鳥居の間には
水路がある。
これ
明見の「阿祖皇大神宮」と同じつくりですよ。

して、
十一面観世音さまは
どちらへ?

年初から濃い展開に・・・・

続きます。

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