毎年1月7日になると
お決まりの
七草粥を頂くのが習慣になっているけど、
スーパーなどで、『七草粥セット』が売られるようになったのは
平成になってからのような気がします。
七草粥とは、Wikipediaによれば、
『せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ
これぞ七草、
この7種の野菜を刻んで入れたかゆを七草がゆといい、邪気を払い万病を除く占いとして食べる。呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もある。
七種は、前日の夜にまな板に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。囃し歌は鳥追い歌に由来するものであり、これは七種がゆの行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられている。歌の歌詞は「七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など地方により多少の違いがある。
七種の行事は「子(ね)の日の遊び」とも呼ばれ、正月最初の子の日に野原に出て若菜を摘む風習があった。『枕草子』にも、「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ……」とある。』
ここ数年は、
七草粥セットをわざわざ買ってまで作るのをやめました。
家の冷蔵庫にある
七種の青もので作ります。
お決まりの
鑑賞タイム。
すずな(かぶ=ラディッシュ)と
すずしろ(大根葉)は揃っています。
三つ葉、
人参葉、
菜花、
小松菜、
そして
大葉、
これぞ(かってなわが家の)七草…
お正月の鯛の塩焼きのアラで出汁を取り
ありもの七草を刻みます。
今年は、模様替えをして
テーブルの位置を変えたものですから、
朝御飯は、朝日が昇る方向に向かいます。
なんだか、
この向きが
毎日お日様に向かうので
気に入っています。
さて、
今日は
1月7日。
三十年前に、昭和天皇が崩御されて
昭和が終わった日、
そして
平成が始まった日てもあるのね。
三十年前のこの日、
みなさまは、何をしていらっしゃいましたか?
わたしはとても印象に残っている日だったので
よく覚えているのです。
この日のことをブログに書いたと思って調べてみたら
書いていなかったので、今日初めて書きますね。
1989年1月7日、
わたしはタイにいました。
まだ、デザイナーズアパレルメーカーの社員だったころ、
この頃は毎年、海外で年越しをしていました。
この年、生まれて初めて行ったタイ。
年末にバンコクへ。
その後、北上してチェンマイへ。
さらに北上して、チェンライという村へ行き、
川を遡り
ゴールデントライアングルへ。
そこはケシの栽培をしている
アカ族という少数民族の村。
このころ、わたしは
麻薬王クンサーの伝記にハマってたかもです。
クンサー。
そこで数日過ごしたあと、
今度はバンコクまで戻り
今度は南下しました。
“チャアムビーチ”
といったと思います。
観光客がどなたもいないビーチで(当時は)
一週間過ごしました。
一泊千円くらいのロッジ(二人で!)に泊まり、
毎朝、日本円で60円くらいの朝食を屋台で食べる。
その頃、お金が無かったわけではなく
(なぜなら、東京に置いてきたミニチュアシュナウザーのホテル代が、二週間で10万!
わたしたち二人より高かったわけです。)
そんなディープな旅を楽しんでいたわけです。
検索してみたら、画像があった!
(チャアムビーチ。今は観光客にも人気があるビーチになったみたい。)
そんな、朝、
いつものように屋台に行くと
顔見知りとなっていたタイ人が
声をかけて来た。
『Japanese emperorが、死んだぞ。』
タイの新聞の一面には、
ヒロヒトの文字!!!
その新聞は、今でもとってあります。
(河口湖から忍野村の引越しで、出て来ました。捨てられない〜。)
帰ってきたら
元号が、『平成』になってた!
だから、わたしは
これをリアルタイムで観てないのです。
そのころ、まだ出会っていなかった
わたしの連れ合いは
中目黒の駅前で
号外をもらったそうです。
そして
30年前の、今日
平成が始まった。
平成最後の
昭和天皇 崩御の日。
平成が始まった日。
それにしても、
人日の節句という
1月7日、
昭和天皇は
すごい日に、亡くなられたのだなあ…
平成最後の
『平成が始まった日』
みなさまは、どのように
お過ごしになられましたか?