6月22日のお話、
ひっぱります…
富士山北麓を出発して
20号線を西に走ったとき
(まだ、白州へ行く前です)
なんとなく、なんだけど
『大鹿村、行きたいなあ』
と、
わたしが呟いた。
なにそれ?どこ???
うーん、と。
わたしは大鹿村のことに関して
あまり詳しく知らなかった。
都市生活者だったころ
憧れの『田舎暮らしの本』で
大鹿村の名前は知っていた。
『なんだかさあ、都市生活者が移住するのに、人気がある村らしいよ〜。』(それはわたしの想像だ。)
だいたいが、都市生活者が憧れる土地は
出来れば電気もガスも水道も来ていないほんとうの田舎である。
今時、この日本に そんなところなどあるはずもないのに。
ふーん、なにがあるの?
友人の問いに、わたしは答えられない。
(あの、海老原よしえさんが
大鹿村の猟師さんだかに頂いた?
鹿の皮で作った太鼓を叩きながら歌う歌があったよなあ…)
それと、
先日、富士山の五合目、御中道の下見のとき、
一緒にいったT美ちゃんが
『大鹿村、なんども行ってるよ!友達がいるから。』と言ってたのを思い出したからかも知れない。
曖昧な答えをして、友人の興味をキャッチ出来なかった。
すると、
『そんなとこ、行かないよ!』
ただちに却下された
『大鹿村』
まあ、いいや。
わたしはこの日
どのような流れになるのかは
まったく、天に任せていたのだ。
ところが…
ヤギに逢いに行き
目的を達成して
あとは帰るだけとなったわたしたち。
『あと一箇所くらいは寄れるね。
あと一箇所だけだよ。』
と
友人が…
じゃあさあ
と、
わたしは提案する。
この前行けなかった
中央構造線の場所に行こうよ〜〜!
ふうん、
どこ?
にべもない友人。
わたしは確か
ミュージアムがあったなあ、と思い
『中央構造線ミュージアム』を検査したのだった。
すると!!!
ええええええええええ〜?
『大鹿村にあるよ⁉️』
これはまったくの
『青天の霹靂』であった。
あわてて
ナビをセット!
すると
その、大鹿村の『中央構造線博物館』は
16:30で閉館となってしまうとのこと。
ヤバイ!
ナビは、16時に大鹿村に到着の予定だ。
30分しか見れないんだ。
だけど、そのことも友人には告げず
とりあえず、行こう、行こう!
(行ってしまったもん勝ちだよ)
ところが、ところが
そこはとんでもない場所で
富士五湖地方の西湖などを
『陸の孤島じゃーん( ̄▽ ̄)』などと言っていたわたし、
ごめんなさい🙏
というくらい
そこは
そんとうの、陸の孤島であった。
なにしろ
諏訪から70キロ?
グネグネした山道を
肝を冷やしながら走らせる。
うーん
到着したのが
16:23
あと、閉館まで
7分しかないじゃない?
とぼけて、その門を叩きます。
実は
ナビで見たとき
驚いたのは
ここ、大鹿村を流れる川の名。
『青木川』
えええ?
なんだって???
だって
ここは
赤石山脈(南アルプス)の
赤石岳を望む土地にあるのでは無かったの?
『赤石岳』!
わたしはいつも、自分のフィールドである
『青木ヶ原樹海』にて
こんな話をしてるんです。
『なぜ、ここが“青木ヶ原”と呼ばれているか、なんですが、
古代の日本語では、色を表す言葉が
四つしか無かったことに由来します。』
『白い、黒い、青い、赤い。』
…
この日の旅は
これが全て揃っちゃった???
博物館のドアを開きます。
ダメ元です。
すると…
ここからが
この日の奇跡でした。
続きます。