愛鷹山の謎になんとか迫ろうとして
『アシタカ 水と巨石の山』シリーズをなんとか書き上げたのです。
が、
それは
愛鷹山の本質には
とてもとてもたどり着けないものであったこと
正直に告白いたします。
わたしの手元にある
図書館から借りっぱなしになっている
『加茂喜三著 “富士の古代文字”』
には
なんと
ミシマノオオカミ(加茂氏はコトシロヌシと示唆しています)の
十の島を作った話が記述されていました。
最初に、一日一晩で小さな島を、つくった。初めの島なので初島と名付けた。次に、神々が集まって相談する神集島(現在の神津島)、次に、大きな大島、次に海の塩を盛って白くつくった新島、次にお供の見目、若宮、剣の御子の家をつくる。三宅島、次に三島大神の蔵を置くための御蔵島、次に沖の方に沖ノ島、次に小さな小島、次に天狗のような王鼻島、最後十番目の島、十島(現在の利島)をつくった。』
そうかあ…
利島は、十島なんだ。
ミシマのつくりたもう十番目の島。
だからずっと、気になっていたんだね。
というよりも
2013年に、伊豆大島へ行った時も
利島が、いつも、こちらを見てくれてような気がしたものだった。
不思議なのだけど
“島”には意思と意識があって
常に、わたしたちにメッセージを送ってくれているのである。
そして
“山”もそうだ。
愛鷹山がこんなにも気になるのは
彼(?)がわたしたちに
常に意識を送り続けてくれているからなのではあるまいか???
その思いが
まだわたしの中にくすぶり続けているとき
『紫の卵さん』が
愛鷹山の謎に正面から向き合っている記事を
ひっそりと書かれていることに気がつきました。
このかたもまた
加茂先生の愛鷹山への探求を転載され
たくさんの記事を書かれているのだわ。
これこそが
わたしの知りたかった、
アシタカの水と巨石の山であることの本質。
ここで紹介させて頂きます。
このかたを通して
アシタカが
またしても、わたしに微笑んでくれているような
そんな気がしています。
次の三嶋探検隊は
ついに、アシタカの懐に抱かれるのだろうか?
そんな予感がいたします。
乞うご期待!