あ、その前に…
彩雲に気を取られて
こちらを公開するのを忘れましたが
こんな雲も珍しかったのです。
さて
御殿場で、ランチをしたあと
わたしと友人は
まだ、日が高いので
次にどこへ行く?
ということになりました。
わたしはその前の日から
愛鷹山が、気になって仕方がない。
それで、愛鷹山に、なんとか導き出そうと
あれやこれや言うのですが
なかなか引っかかってこないのです。
で…
先日の、22号線のことを持ち出した。
そこを、走っていたら
異常な『こんもり』があり
『興国寺』との看板があったので
いつもは無関心な友人が
『興国寺!こうこくじ!検索して〜!』
と、言ったのでした。
わたしはとっさのとこで、恥ずかしいことに
ホクジョウ?
キタジョウ?
早雲???の城
と、言ったら
北条(ホウジョウ)でしょ!
と、指摘されたのでありました。
『ふうん
北条早雲の城?』
ほんとうに珍しいことに
友人が、食いついた!
で、
そこに行ってみる?
と、投げかけた。
ふうん
遠いんじゃない?
ごもっとも
ごもっとも
だけどさあ、
22号線て
ほんとうに、アヤシイのよう。
いや、もう
帰ろう。
待って、
待って!
メチャクチャ
アヤシイ場所があるよ!
なにしろ
デカイ古墳が発見されたらしいよ。
なんでも、道路を作ろうとしたら
そこに卑弥呼の墓(箸墓古墳)に匹敵するくらいのすごい古墳が発見されたんで、
道路が迂回することに、なったみたい。
高尾山古墳て言うんだって!
わたしは以前
親しくさせて頂いていた人気ブロガーのMさんの記事を久しぶりに見たら
この『高尾山古墳』の話が書かれていて
妙に興味が惹かれたんだった。
さっそく
スマホのナビで検索すると
友人は
なんだ!昨日通ったところじゃない?
と。
そうなの???
なにしろ、国道1号線(東海道)と
平行して山側を走る、くだんの
県道22号線(根方街道)
どちらにもほど近く
わたしたちの富士山北麓に比べると
かなりな町中にある。
こんなところに
あるの?
『高尾山古墳は、沼津市東熊堂字北方地内に所在し、愛鷹山から南に延びる尾根(丘陵)の末端上に立地する、全長約62mの前方後方墳である。
古墳と判明する前までは、後方部の高まりには高尾山穂見神社が、前方部には熊野神社が鎮座していた。』
車の中で検索したら
こんな文章が出てきた!
『古墳の上には、
高尾山神社
と、
熊野神社が存在していた』
前方後方墳の前後に
2つの神社‼️
そうなんだよねえ〜。
どこかでもそれを見た。
古代の神聖な場所には後世に神社や仏閣などが建立されて、新しい祭神が勘定されて、
もともとあったものが隠されてしまう。
だけれども
そのおかげで、今日まで守られて来たのかも知れなくて…
遺跡や古跡が大好きなわたしは
こんな話にもワクワクする。
だけど、こんな街中に
ほんとにあるの?
ナビが案内するのは
やはり22号線だ。
左に行けば1号線にぶつかる角を
右折する。
すると…
あった〜〜!
(以前は古墳の上に
熊野神社と高尾山神社が存在した)
その西側の、『こんもり』が
東日本最大の…
『前方後方墳』
発掘調査中で
ビニールシートに覆われている。
ええ?
ここまでしか行けないの?
こんもりと盛り上がり
ここに古代のスルガの王の
木棺が納められていたの?
わたしめがけて飛んでくる。
こっちだよ!
ゴロゴロと喉を鳴らすの。
ここ!
登っておいで‼︎
御神木の姿。
この にゃんこは
ここをお守りしているのね。
歓迎されたのは、嬉しかった。
てっぺんから見ると
この古墳のために
道路がここで止まっています。
ヘリから見た画像がありました。
発掘調査中の画像も。
十字の場所に
サガミの王が、
鏡、勾玉、剣とともに、埋葬されていた。
三種の神器じゃないの〜!
そしてそれは
ここから近くの
『沼津市文化財センター』に展示されてるんだって!
行かなくちゃ‼︎
調べる。
もう、北条早雲はどうでもよくなっていた。
友人も、古代の古墳に興味深々だ。
行こう
行こう
え〜〜!
沼津市大諏訪⁈
片浜駅?
昨日、海鮮丼を食べたところのすぐ近く!
そして
千本松原???
どうなってるの〜〜!
展示館は、16時半まで。
急ごう、
急ごう!