赫夜姫(かぐやひめ)
が
富士山の神さまだったという説は
今ならどなたもご存知かも知れないのですが…
え?
富士山の祭神は
木花之佐久夜姫(コノハナノサクヤヒメ)じゃ
ないの〜〜???
ごもっとも
ごもっとも。
しかし
各地に残された
『富士山縁起』などを紐解くと
中世までは
富士山の祭神は
『赫夜姫(かぐやひめ)』
で、あったという記録が残っていたりするのです。
この話はわたしは個人的に
とっても好きなのね。
だから、何度か記事にしたりしております。
2015年2月の記事なので
3年くらい前ですね。
富士山のご祭神であった、“かぐや姫”が
“コノハナノサクヤヒメ”に取って代わられて
(理由は、記紀神話との整合性によるもの)
引退(⁈)させられて、
富士山から艮の方角にある
わたしの住んでいる、忍野村の杓子山に
御隠れになっちゃった話も、ここに出てきます。
江戸末期まで、かぐや姫を祀って
その祭祀を行っていたのが
なんと、富士宮にある『根本宮 村山浅間神社』
この日、
なんとなく
ここで待ち合わせをすることにしたのも
意味がありありたったかも知れなくて…
で、
その後
イワナガヒメを祭神とする
大岩子安神社さんにお参りして
イワナガヒメさまにこの地に呼ばれたという
ひまわりのママさんのところに戻り
絶品のオムライスなどを頂いたのが
昨日までのお話でしたね。
ここ
『おうち喫茶 ひまわり』には、
ママさんが6月に、
小淵沢の塩野谷博山さんに書いて頂いた
「富士山かぐや姫」
の掛け軸がありまして…
『富士山のかぐや姫が、やっと
世に出たの。』
ママさんは、不思議さんのようです。
『愛鷹山の山並みがキレイでしょう?
かぐや姫はね、龍に乗って
この駿河湾を飛んでいるのよ…』
イワナガヒメに呼ばれて来たと思っていたママさんは
かぐや姫とも巡り合ってしまったらしいのです。
その話を聞いた、Kちゃん
やおら、車に乗っている
最後に一点残った龍の絵を取りに行き
ここ、ひまわりさんに“奉納”したんです。
ママさんの、喜びよう、ったら‼︎
併設されている織物の神さまをまつる“倭文神社”は
今は、考えがまとまらないです。
村山浅間で待ち合わせて、ひまわりに行って、星山に行って、さらに時間があればご案内したいです。
東泉院御由緒書
別当東泉院の『東泉院御由緒書』には、おおむね次のように記されている。
「富士山は三国無双の名山にして国家擁護の霊神ゆえ、浅間宮を数か所に祀って祈祷する必要がある。東泉院が別当をつとめる五社浅間のうち、父宮、母宮、六所浅間宮は富士浅間赫夜姫誕生地により、これを祀る」
中世から江戸初期、浅間神社の祭神(=富士山の神)は「赫夜姫」と考えられた。『竹取物語』のかぐや姫である。中世にさかのぼる『神道集』『富士山大縁起』『源氏物語提要』などに記述がみえ、広く知られていた説らしい。こんにちのように富士山の神=木花之佐久夜賣命が定着したのは、江戸中期以降のことだった。
『東泉院御由緒書』もそれを踏襲している。富知六所浅間神社の祭神をかぐや姫とし、瀧川神社を竹取の翁を祀る社=父宮、今宮浅間神社を竹取の嫗を祀る社=母宮と表記。江戸末期の『駿河国新風土記』でも、富知六所浅間神社の祭神は「赫夜姫」と記されている。』
むむむっ
今回は、ここ(星山観音)はまたの機会で良いのかも…
と、わたしは思い始めていました。
そう
『富士のかぐや姫を巡る旅‼︎』
心はどんどんそちらにシフトして行ったのです。
ところが
ところが…
たまたま、その時期
富士山、しかも静岡側に行くという
鳥海山のKちゃんを誘ったことで
とんでもない展開となりまして…
毎日がまったく
ジェットコースターに乗っているみたい‼︎
大岩子安神社さんから戻る途中
そのならびに赤い旗が
パタパタしていたのだけど
そこにKちゃんが
吸い込まれるように、登っていった。
な
な
なんとそこは
『十一面富士観音』???
さて
イワナガヒメさまがおわします
大岩子安神社と
こちらの観音さまの関係は?
そうして
その後の展開は???