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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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『富士 高天ヶ原 』邂逅 “時を超えて”

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先ほどの続きです。


図書館へ行き
いつものお気に入りの
『富士山文庫』の部屋。

そこには
なぜか、◯禁シール
すなわち、貸し出し禁止のシールが貼られた図書が多いのです。

それは、その部屋で読まなくてはならない。

今日は、この本が気になった。

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南朝史にハマってた頃
(といっても、最近のことなのだけど)
何度かここでこの本を開いた。

借りて、家でゆっくり読みたい!
だけど、それはままならない。

開いてみたら…

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赤鉛筆で、ラインが引いてある。

なんて書いてあるかというと…

『現在 南都留郡忍野という地名が残るが、この[忍野]起源は、この忍館の[忍]から生じたものと伝えられる。』


だ〜か〜ら〜!

忍野村の村名は、明治8年に
忍草村と内野村が合併して出来た、と
言ってるじゃないの〜。

ま、いずれにしても
忍草(シボクサ)村は、[忍]の漢字を確かに使っている。

それが、南朝の隠れていた『忍館』が語源であると、
この本は唱えるわけだ。

面白いことに
表富士(静岡側)と
裏富士(山梨側)を
南朝は、目をくらますために
両方に同じものを作っていた、というのだ。

現在の忍野村に『忍館
内野という地名は宇宙湖から。
富士谷
というキーワード。


それらが、静岡側、田貫湖周辺の天子山地にもあったという。

西富士に、宇宙湖があり
ここが高天ヶ原だと
富士山ニニギさんというブロガーさんが主張していたのも
あながち、根拠が無いわけではなかったのね。


だけど、
河口湖町の図書館にあるこの本の
ここの部分に赤鉛筆でラインをひいたのは
どこのどなたなのだろう。


まさか、
わたしのように
忍者雲から、急に気になったわけでもあるまいに。

この、赤鉛筆のライン

以前も見た記憶があるのです。

やはり、この部屋で、
この本を開いて….

この本のこと、
ブログでも書いたなあ。

それは、いつのことだったっけ?


気になったので、調べてみたのね。


そうしたら…


こんなことって、
あるのか⁉︎

なんと
2016年12月16日!!!

一年前の、今日じゃないの⁉︎


ガッビ〜〜ん!!!



遡れば
なんのことはなく

昨日の『忍者雲』から
またまた一年後に同じようなブログを書くハメになったというわけだ。


堂々巡りなのかしら?


いや、違うなあ。


前回、読み逃した箇所があり

なぜ、南朝の人々が富士山に集まったかというと
(この話は、なんの確証もなく、一部の著書(宮下文書など)が主張しているにすぎないのだけど)

富士 高天ヶ原』を
再興させようとしたのだ、というのだ。


そこの部分は
なぜか、今日は
胸を打たれたのですね。


何故なのかはわからない。


たぶん、
なんだけど

今日の雲たちが

妙に、饒舌すぎたからなのではないかしら?

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今日のお話は
これで、おしまいです。

明日は明日で、
また、新しい物語が始まるので。

ではでは

おやすみなさーい。















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