こちらの続きになります。
初めてだった。
そこから
20号線を離れて
七里岩ループと呼ばれる
のの字な道に、友人は登って行く。
そのころにはきっと
諏訪に行く気は無くなっていたんだろう。
とっくに紅葉が終わってしまった富士山北麓に住むわたしたちには
ちょうどよい山の景色に感嘆するドライブだ。
それにしても
急カーブが続く道だ。
日光いろは坂でもここまでではないらしい。
青坂隧道、というらしい。
おととい、アップしたこの画像の
八ヶ岳エリアに入って行ったのだろうか。
日野春、という地名に
聞き覚えがあった。
日野春、
ヒノハル?
ああ、そうだ
一度だけ、家を買おうとしたことがあり
八ヶ岳の不動産屋を訪ねて
日野春の別荘を見にきたのだった。
富士山が見えたのよ!
それで、気に入った。
だけど、紆余曲折あり、買えなかった。
あのとき買っていたら
わたしの人生はまた違ったものになっていたかもしれない。
(1993年くらいのことだったと思う。そのときに見たのは、忍野村内野の家と、日野春のその家の二件だった。
こともあろうに、わたしはそのときにみた忍野村の家のすぐそばに住んでいる。そのときに見た家を探してみたけど、もう記憶は定かではない。不思議な巡り合わせである。)
だけど、このあたり
ほんとうに 富士山が見えるのかな?
すると友人は
見えるのだという。
そうなんだ、でもどのあたりだったか記憶にない。
日野春駅から歩くと15分くらいだったと記憶しているんだけどね。
そろそろお昼が近くなってきた。
ホテルでの朝食ビュッフェで
あんまりお腹が空いてないのだけど
そう、その昔、東京から車で飛ばして来た
美味しい有名なお蕎麦やさんを思い出した。
最後に訪れてから、二十年はたつのだ。
翁、といった。
その名を忘れるわけがない。
コルベット スティングレイ1964で
その名を連呼しながら走ったのだから。
スマホで検索してみたら
そこは健在で、
やはり今でも有名なお蕎麦やさんであるらしかった。
しかも、そこから20分ほどだ。
行ってみよう!
ナビをセットする。
小渕沢
そうそう
そうだったよね、確か。
こちらの前を通り過ぎた。
『清春藝術村』!
清春白樺美術館…
えええ?
こんなところにあったの?
昔々
翁で、お蕎麦を食べて
ここで、初めて
ホンモノのルオーを観たの。
ほんとうだ
INRIだ!!!)
胃袋と心
両方満足して、バビロンへ帰った記憶があり
そこから
わたしの
『八ヶ岳・ヤツガタケ』狂いが始まったのかもしれなくて。
甲斐駒ケ岳が目の前に広がる、景勝地だ。
あのころのわたしは
富士山であれ、南アルプスであれ
八ヶ岳であれ
山が見えるというのは、すべて
非日常体験と空間であった。
それをこよなく欲していた30代の自分と
今、また向き合うことになるとは。
残念ながら
“翁”は休みであったので
別のお蕎麦屋さんに行くことにした。
なんだか、どうしても
八ヶ岳のお蕎麦が食べたくなったので。
“紬”というお蕎麦屋さんを見つけた。
食べ終わり
わたしは満足だったのだけど
友人は、物足りないという。
以前食べた
三分一湧水の蕎麦屋に行こうという。
三分一湧水!
わたしは今まで、行ったことが無かった。
信玄の、アレでしょ?
知識としてはあった。
だいたい、武田信玄に興味が無かった。
それは、二十年前も 今も変わらずだ。
だけど、
山梨県人になったのだから
“三分一湧水”くらいは見ておいてもいいね。
八ヶ岳の湧水を
信玄が、三つに公平に分けて流した、という。
そこは、
紅葉がまた、ちょうど美しい時期だった。
なんだか人工的で新しい感じ。
昭和十八年に、八ヶ岳からの山津波により
この
三分一湧水は埋没し
その後、掘り出し整備したのだという。
友人は
今年の二月に亡くなった愛犬
九太郎の話ばかりをする。
以前、ここに来たときも
湧水の中に飛び込んじゃたんだと。
水が好きな犬だったな…
十割蕎麦
こんどは天麩羅蕎麦。
干し柿が吊るしてあり
なんとも長閑な風景。
さあ、
日が暮れそうだ。
走る
中央フリーウェイ…
正面には
富士山。
やはり、美人さんだ。
一台の車で
二人旅
三分一湧水
四つ足とともに(百と小太郎)
ワイン ディナーの料金が
六千五百円
七里岩
八ヶ岳
九太郎の思い出とともに
十割蕎麦。
お後がよろしいようで…
十一月二十三日
一二三のあとの
プチトリップのお話。