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構成資産23番『人穴富士講遺跡』1014

朝霧のこの施設では

晴れていれば、こんなにも
素晴らしいおやまが見えるのだけど



寒冷前線のおかげで
今日の午前中の『猪ノ頭湧水と養鱒場見学』は
中止となり

一昨日の下見のようす


アルピニスト野口健さんとの清掃活動のみ
行われた
静岡県で毎年行われる『富士山クリーンプロジェクト』

今年は約120名の参加者さまと。


NPOの事務局が用意していたこの日の清掃場所は
そう、あのミステリースポットとして名高い…

『人穴浅間神社』だったのでした。


人穴富士講遺跡は、人穴浅間神社の境内にある。ここには、犬涼み山溶岩流内にできた長さ約83メートルの溶岩洞穴「人穴」と富士講講員が建立した200基を超える碑塔等がある。また、ここには、甲州街道や山梨県郡内地方に通じる郡内道(人穴道)が通っていた。

富士講の始祖『藤原(長谷川)角行』没後二百年に建立されたという。



現在の社殿は、平成19年に建立されたもの。
明治の神仏分離令以前は
大日堂が建てられていたという。


そして
これが
名高い『人穴』と呼ばれる溶岩洞窟。


現在は、入洞禁止になっている。

東日本大震災後
崩落の危険があるため、となってるけど
そんなことないよ。

わたしがブログを始めたのは2011年の9月。
それ以降も、自由に入れたはずだけど
たまたま懐中電灯を持っていない時に前を通るので、一度も入らずに
入洞禁止になってしまった。

残念!

(この時は階段下まで入っています。)


(内部の画像、お借りしました)

『吾妻鏡』には人穴探検の様子が描かれている。この人穴探検談は、後に浅間大菩薩の霊験譚「人穴草子」としてまとめられ、近世には富士講の隆盛もあり広く普及した。また、『吾妻鏡』には、人穴は「浅間大菩薩の御在所」とあり、当時人穴が富士山信仰に関係する場所であったことがうかがえる。 

源頼朝が、仁田四郎に命じて
探検させた、と伝えられるこの図は有名で

建仁三年源頼朝卿冨士之御狩の時仁田ノ四郎忠常命を依て人穴入ル図 

木花咲耶姫命(仙元大菩薩)とされている。
やはり、龍を伴っているように描かれているのね。


それに
例の春分秋分ライン上(御来光の道)にあるのだわ。





『人穴浅間神社の境内地には、富士講信者が建立した232基の碑塔が存在する。 
18世紀中頃から、江戸を中心に富士講が隆盛すると、人穴は霊地(西の浄土)として信仰されるようになり、18世紀末以降、現在の東京都・埼玉県・千葉県を中心とした関東地方の富士講信者によって「墓碑供養碑」「祈願奉納碑」「顕彰記念碑」などが建立された。講(枝講)ごとにまとまって建立されており、刻銘から、各講の歴史や構成地域を知ることができる。 』


232基だって!

2012年6月に来た時の看板には
(その後富士山は世界遺産登録をされ、この周辺はすっかり整備されてその看板は無い。)
233基となっていたはず。



さてさて
今日の目的は
それではなくって


こちらを通り過ぎ
林の中を歩くこと
15分
不法投棄現場がこちらです。

(手前のは、簡易トイレ。他にもタイヤやら、空きカンやビンなど)


およそ、60分に渡るワンパワーで


すっかり綺麗になりました。

あ、以前西湖でKANちゃんと行ったイベントき来てくれた
三井さんも参加者として来てくれましたよ。

その時の記事に三井さんの作品が出て来ますね。

2014年なので、もう三年前なのね。
感慨深し…。


(清掃活動、アフターの写真、撮り忘れました!)


主催者のご好意で
わたしたちスタッフにも
天神屋のお弁当が‼︎

ありがとうございました。
美味しゅうございました。


じゃなくって!


参加者の皆様
主催者の皆様

またまた富士山が
光を取り戻しました!


藤原(長谷川)角行さんも
さぞかし喜んでおられることでしょう。

ほんとうに
ほんとうに
ありがとうございました‼︎



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