ったく
まだまだ、シンクロは続いています。
次の場所へ行くのに
山中湖の平野に住む友人に相談しました。
楠正義が築いた城跡のある金平尾根というのは、古屋という場所の山手にあるらしいのだけど、
そこの登り口かはっきりしなかったの。
すると、流石に住民だ。
『鎌倉街道だったら、
保育園の脇の道だよ、
そこが古屋だから』
しかも、一緒にいってくれるというのです。
百人力‼
友人の車で向かいます。
すると…
保育園の曲がり角は
山中湖はぐるりと通りの番地かふられており、
一番は、あの
山中湖山中の“御所”
そして
この古屋が23番‼
シリウスNo.じゃないの〜!
これだけでもワクワクなのに
看板を見ると
なあに、なあに、
なんで⁉
『きくすい』という宿泊施設の看板を見ても
今までだったら、なにも感じずに通り過ぎてしまったでしょう。
と、友人は知っていたのですが
(つまり、この辺りの地主らしい)
わたしは…
昨日、
まさに昨日
この御紋を見たのでした。
後醍醐天皇が
楠木正成に賜った御紋‼
なんということ!
楠木正成の子息の
楠正義がこの上に城を築く⁈
この方(もと福村長さん)
菊水(きくすい)の意味をご存知なのだわ。
直感で、そう思った。
そして
なんとなく、なんとなく
昨日検索したときに
『菊水作戦』なる言葉が出てきたような気がしたんです。
調べてみたら…
『菊水作戦(きくすいさくせん)は、太平洋戦争末期、連合国軍の沖縄諸島方面への進攻(沖縄戦)を阻止する目的で実施された日本軍の特攻作戦である。作戦名の「菊水」は楠木正成の旗印に由来する。』
『また、菊水1号作戦時には、航空総攻撃に呼応して、戦艦大和の水上特攻が実施された』
菊水作戦
『また、菊水1号作戦時には、航空総攻撃に呼応して、戦艦大和の水上特攻が実施された』
菊水作戦
またまた
戦艦大和‼
それにしても
これって…
太平洋戦争末期の
特攻作戦じゃあないの‼
特攻作戦…
それが
後醍醐天皇から命じられ
勝ち目の無い戦いで打ち死した楠木正成の名と御紋をとった
『菊水作戦』…。
この先に
必ず
『楠正義』の城跡があるのだ、
そんな予感をもとに
いざ‼
ここから歩いて登る。
道の確証はないのだけど…
なんだか、
家来の犬をつれた
桃太郎の鬼退治の気分になってきました。
果たして
鬼は誰なのか⁇
楠木正義や長慶天皇を追っていたのは
足利幕府。
一番苦手な日本史の
それも戦国の時代に
なぜか足を踏み入れていくみたい。
あ…
山鳥の尾羽‼
旧鎌倉街道を
内野(忍野村のわたしが住んでいるところ)へ向かうんだよ。
ヒントはそれだけなのです。
ここ、アヤシイよね。
と、友人。
なんだか広くなっていて
昭和40年に調査されたとのことだけど
石積みなどは
落ち葉の下に埋れてしまったのではないかしら?
おそらく、この辺りなのですが
今日はこのへんで断念することに。
山から降りて
あと一箇所だけ
友人に付き合ってもらい
気になる場所へと向かいます。