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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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蘇る “GO DAI GO ”その三『日の丸』

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日の丸とは

源氏と平家の由来に始まり
武田信玄が最古の日の丸の旗を使ったのだと
今の今まで信じていたのだけど、

それが、違うのかもしれません。

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 『奈良県五條市、吉野山地の北西にある「賀名生(あのう)の里 歴史民俗資料館」に古びた絹の日章旗が展示してある。資料館の隣にある旧家、堀家に「南北朝時代(14世紀)後醍醐天皇から賜った」として、代々伝わったものだ。桐(きり)箱に畳んで収めてあり、広げると縦95センチ、幅75センチの幟(のぼり)旗という。白地は傷みが目立つが、日の丸の赤は今も鮮やかさを保つ。

 賀名生には、足利尊氏に京を追われた後醍醐天皇が一時滞在。南朝の皇位を継いだ後村上天皇は、ここに皇居を置いたとされる。堀家は南朝を支えた有力な土豪だった。』




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この
後醍醐天皇の肖像画の
頭の赤い丸⁉

これに関しても
物議を醸し出しているそうな。


『この縦型掛け軸の上部には八幡大菩薩、天照皇大神、春日大明神の神号が、貼り付けてあります。
描かれた当初はなかったものと思われます。
これは「三社託宣」という当時流行した思想です。
簡単に言うと、天照皇大神は「正直」、八幡大菩薩は「清浄」、春日大明神は「慈悲」の教えを託宣しているというもので、当時の道徳律ともいえます。
なぜこれが肖像画に張り付いているのか、よくわかりません。
あるいは後醍醐天皇は正直・清浄・慈悲を体現している人物だという主張なのかもしれません。

さて問題は頭上にある謎の赤丸太陽です。
朝廷では従来、太陽は金色が伝統でした。聖徳太子の頃、中国伝来の赤丸太陽紋が玉虫厨子に描かれていまいしたが、天武王朝の頃から、日月は金銀でした。
その伝統を破って後醍醐天皇が赤丸太陽を採用したのは密教の曼荼羅絵の影響でしょう。大日如来は太陽であり、曼荼羅絵では赤く描かれることが多い。

この赤丸太陽は後醍醐天皇の怒りの象徴だと思います。
後醍醐天皇は自ら真っ赤に燃える太陽、火の玉になって怨敵・鎌倉幕府を焼き滅ぼそうと調伏の加持祈祷を行ったのでした。
ここにおいて、赤丸太陽と怨敵調伏が結びつきました。赤丸太陽マークは怨敵調伏、悪人を滅ぼす呪術的シンボルマークとして登場しました。
赤丸太陽デザインは、普段は金丸である太陽が烈火の如く怒った時の姿として、後醍醐天皇が考案したのだと断定して良いでしょう。

後醍醐天皇の怒りの赤丸模様を南朝方武士の白旗に描けば「日の丸」の原型となります。』



アマテラスの子孫であるという代々の天皇は
赤い丸(太陽)を頭上に抱いたとしても
なんの不思議はないのだけど…


白地に赤く
日の丸染めて…

その原型が
後醍醐天皇にあったとしたら

それはそれで
またまた、びっくりなのでした。

彼はいったい…





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