クマノ カムイノ
木、岩、滝 (神の降臨する依り代)
この地の話は深過ぎて
なにから書いてよいのか皆目わからなくなってきた。
そこで、原点にもどることにする。
初めにありきなのは
自然信仰なのだろう。
熊野三山も
もともとは自然信仰から発したのだという。
熊野本宮は
木(川という説もあり)
新宮速玉大社は
あの神倉の磐座
(こちらも川との説あり)
那智大社は
こちらは瀧(那智の大瀧)
木
岩
滝
遥か遥か昔の
古層の神々はそのようなものだ。
わたしが昨年の九月末に
どうしても行きたい、と思ったのは
『那智の大瀧』だった。
駆り立てられた、ということなのか。
さらに、最後にそこにあったのは
速玉大社の摂社
『神倉神社の磐座“ゴトビキ岩”』だった。
だけど、その旅では
とてもじゃないけど
『熊野本宮大社』に行く時間は無かった。
で
熊野本宮大社の“木”
こちらを紐解いてみよう。
『天火明命あめのほあかりのみことは、古代、熊野の地を治めた熊野国造家の祖神です。天火明命の息子である高倉下たかくらじは神武東征に際し、熊野で初代神武天皇に天剣「布都御魂ふつのみたま」 を献じてお迎えしました。』
え?
ヤヒコの謎で
高倉下
でたよなあ。
石上神宮だったかしら?
布都御魂
ふつのみたま
ここでも出ちゃうんだ。
『時を併せて高御産巣日神
たかみむすひのかみ
は天より八咫烏
やたがらす
を遣わし、神武天皇を大和の橿原まで導かれました。』
ええ?
高御産巣日神
たかみむすひのかみが
八咫烏をを遣わしちゃうの?
そして
ここからが大切。
『第十代崇神天皇の御代、旧社地大斎原の櫟(いちい)の巨木に、
三体の月が降臨しました。
天火明命の孫に当たる熊野連(くまののむらじ)は、これを不思議に思い
「天高くにあるはずの月が、どうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねました。
すると真ん中にある月が
「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」
とお答えになりました。
この神勅により、熊野本宮大社の社殿が大斎原に創建されたと云われています。』
うーむ
三体の月
とは
気になる…。
そして
三つの川とは…?
『熊野本宮大社の元地
『大斎原』は
三つの川の中洲にあった熊野坐神社 旧社(大斎原)水害前の絵図
三体の月
三つの川
熊野三山…。
あ
三本足のカラス‼
ダメだ〜
ますます、深みにはまり込んでいく〜!
ごめんなさい、
次回に続きます。