ううわあ、
ヤバイなあ…
というのは
この島に関して
書いたことは薄っすらと覚えていたのに
なんて書いたのか
すっかり忘れていたこと。
2015年
2月11日の記事だったのだわ。
自分で、読んで
びっくり!
淡島(あわしま)トヨタマヒメ富士日記
しかも、この記事の最後には
リベンジします!
伊豆半島ミステリーツアー‼
などと書いてあり
気恥ずかしい限り。
およそ、一年半のちに
ほんとうに、上陸したんだなあ…(感無量)
じゃ、なくって
2016年
9月9日
ここに行ったのは
やはり、とんでもない意味があったようだ。
大切なことは
あとから気がついたりする。
もしも、ほんとうに、
目に見えない存在がいるとしたら
(いるんだけど)
それは、とても
人使いの荒い方なのだ。
137mの急階段を
汗だくで登るわたし
ああ
防虫スプレーも
汗拭きタオルも車の中だ。
9月9日
温暖なこの地方では
まだ、夏の真っ盛り。
やっと
山頂に到着!
明治以前は
天女山と称していたらしい。
その名残り?
淡島弁財天の説明の看板あり。
わたしが
ものすごく気になったのは…
『江戸時代
一七◯七年(宝永五年十二月)
弁財天社が建立された』
の部分。
え?
違うよ。
1707年は
宝永四年だよ。
なんで、こんな重要な年を
看板は、間違いを…
1707年は
富士山が噴火した年じゃない?
それは、宝永四年。
その年に
安芸の宮島から
厳島神社を勧進したという。
なぜ
富士山の噴火の年
ここにへ?
あ、そうか。
噴火ではなく
津波だな。
宝永の富士山噴火ではなく
その49日前に起きた
宝永の地震
三連動地震
東海
東南海
南海地震。
そして、
それが、齎された
宝永の津波と
ここは、深い関係があるのに違いない。
おそらくは
安芸の宮島の厳島神社から
勘定されたのが
宝永五年。
富士山噴火と、宝永地震と津波
その次のと年だったのだと考えるのが妥当だ。
照葉樹林帯っぽい
参道を降りる。
縄文のビーナスっぽいオブジェ。
アワの島よ。
一時間で
淡島マリンパーク駐車場に戻ってこれた。
わたしはミッションの終わりを感じ
すっかりほっとしていた。
ありがとう、
友人Y。
さきにご褒美で
あとからミッションという
いつもとは後先になったのだけど
そして
未だに30匹くらいの
虫に背中を服の上から
刺されちゃったんだけど
なんだか、心良い満足感を伴って
おうちに帰れそうだ。
ところが
また、友人は
オオセザキ
オオセザキ
という。
なんなのよ、そこ。
伊豆半島の、最西端であるらしい。
だから、どうなんだ?
その後に
下田でラーメン食べて
帰ってこようかな〜!
ラーメンなんて、食べないよ!
でも
淡島駐車場での一時間は
こちらも心苦しくて。
だから
オオセザキへくらいまでは
付き合ってあげよう。
それが
それが
オオセザキ
大瀬崎
は
とんでもない、場所だった。
この時点では
わたしも友人も
まだ、知らない…
キーワードは
やはり
『津波』