九十九里の南端に
それはありました。
茨城の最北から
房総半島の南端?
遠い
遠い
その距離を
運転し続けてくれた、Sちゃん。
この方も
富士王朝の女神であるとのことだった。
(Kちゃん談)
ありがたや
ありがたや…
この方とも
不思議なエニシである。
あ
明日の夏至の日にもお会いしますね。
ほんとうに
この日は
おつかれさまでした!
さて
この旅のラストを飾るのは
九十九里かあ…
この三日後にはなんと
想像もしていなかった箱根の
九頭龍さんのところへ。
(しかも、例大祭ですよ!)
やはり、『九』がずっと来ていたのね。
そういえば
わたしも良く拝読させて頂いている
KUONさんが
わたしの記事を、リブログしてくださった。
ありがとうございました(*^_^*)
そしてこちらにも
『9』!
九十九里の南端にある
玉依姫を祀る『玉前神社』
上総の国 一ノ宮であるという。
春分、秋分の日の日に
富士山頂を通る『御来光の道』であることは知っていたので
いつか
いつか
行きたいなあ…
(でも、きっと行かないのだろうなあ)
と、思っていた。
行く人は、他にいて
それぞれの、役割があるんだ。
わたしはいつも、ここにいる。
美しい、美しい
刻刻と変化する
富士の裾野の空を眺めているのだ。
と、思っていた。
きょーこちゃんがなんということか、
あの、雨の日に
突然、『玉依姫さまから』と
この、玉前神社の前の浜で拾った
貝殻をくださったときも
そこからお水を汲んで来てくださったときも
6月9日の龍宮洞穴の
『八乙女奉納』のときも
ありがたや
ありがたや…
いただきまする
と
能天気に、思っていたのである。
(きゃあ!
この日は、新月だった!)
古事記や日本書紀によれば
豊玉姫命の妹
あるいは姪に当たり
本人はワニザメの姿となって龍宮へ帰ってしまったのに
その御子を育て上げ
しかも、ウガヤフキアエズの御子
カンヤマトイワレヒコ(神武天皇)を産んだとされる女神。
すでに
点と線で、かなり濃い感じで
つながっていたのではないか?
『わかった! お礼参りだよ!』
と
Kちゃん。
お礼参りですかあ…
貝殻も頂いて
お水も頂いて
だよねえ。
でもね、
先ほどの、大甕倭文神宮さんは、
長く生きているわたしの人生の中でも
かなり、強烈であった。
あそこから
そこへ行くって
なんのつながり?
どういうこと???
(だって、星神さまから、海の神、
封印された神から、今でも恩寵を集めている神。)
車の中で話した
ショーもない会話の中に
トンデモない真実が
散りばめられているのかも…
あ、
わかった!
と、
またKちゃん。
イカリをシズメに行くんだよ!
怒りを鎮める
錨を沈める…
これは、やはり
呪詛だった。
(最近では、ダジャレというんだけとね。)
そうして、やっと
到着すると
『海に向かって鳥居が立っていている』
という
Kちゃんのビジョンは
どこへ?
どこ、どこ
海はどこにあるんだろう。
平成の大改修の真っ最中。
と
そこで!
発見!
こんなイカリや
あんなイカリ…
イカリは、
海に沈めに行く…
イカリは
大いなる海が
沈めてくれるのだ。
そして
そのために
十二社あり。
実は
ここが
海に向かって鳥居がある
という、
大切な
大切な
場所だったのです。
『房総最古の浜降り神事 大同2年(807)創始で、1200年以上の歴史と伝統を誇ります。
祭りの由来となっている物語は神々の出会いから始まります。悠久の昔、山の神である鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)が海の神である玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)を見初め、契りを結ばれました。そしてお生まれになった神武天皇をはじめとする神々は、海までつながっていると伝えられる井戸から水路を通って、九十九里浜まで流れていかれました。その様は、龍の如しといわれ、元気な幼い神々は、海岸に着くやはしゃいで大暴れをなさいます。そこで、玉依姫をはじめとする御親族の神々は九十九里浜に幼い神々をおいさめに向かわれました。
このような伝承に因んで、現在では、毎年9月10日には、鵜茅葺不合命が鵜羽神社より神輿に乗って、玉前神社の玉依姫命を訪ね一年に一度の逢瀬の契りを結ぶという神事が執り行われます。続いて生まれた神々を鵜羽神社の井戸に流すという神事も行われます。そして、13日には例大祭が古式ゆかしく厳かに行われ、伝承される物語にあるように九十九里浜の釣ヶ崎海岸に神々が集うという壮大な物語の神事が行われます。玉依姫命の一族の神々を祭る各神社より神輿を奉じて、2500人余りの裸若衆たちが大海原を背に渚を疾走し、海岸に集う様は圧巻です。』
そうですかあ…
うーん
ラストへ!