6月10日
日立の国(茨城)の
『大甕倭文神宮』に行き
その後
千葉の、玉前神社へ直線で行くという
Kちゃんたちのご神事に同行する
お話を書いている途中なのですが
さてさて
次なる場所(玉前神社さん)へ向かう途中のお話を
書こうと思ったのですが
どうしても、書きたいことが出てきてしまいました。
これは
『大甕さん イカリヲシズメル』の
番外編となります。
大甕の『甕』
土器のことである、という考古学のお話は
すでにUPしました。
そして
それは、サカイの地で
祭祀に使われた、という話しも。
このお話を聴いたのは
6月15日
『世界遺産 富士山講座』の席でのことでした。
大甕神社*イカリヲシズメル
この時に
わたしは、驚くべき、話を耳にしたのです。
河口湖に浮かぶ
鵜の島
まるで、龍の眼みたい!)
この、小さな島に
縄文
弥生
古墳時代の
三代に渡る遺跡が出現したのだと。
これは、全国でも
たいへん珍しいそうです。
縄文時代は永きにわたりましたが
それは、標高600m以上の土地から遺跡が出てくる。
一方、弥生遺跡は
すっかり海が後進したあとの
100m付近から出土するのです。
これは、いわば、考古学の常識。
それが
河口湖の鵜の島では
三つの遺跡が折り重なるように出てくる。
そうして
杉山先生は
『これは、わたしの妄想だと思ってください』と前置きしたあと
驚くべき話をされた!
鵜の島の形が
気になります。
人工島なのではないか?
と。
前方後円墳だったりして…
と。
前方後円墳!
日本の古墳時代において
なぜかこのような巨大な墳墓が
突然、現れる。
それは
日本、独自の
墳墓のカタチなのです。
地図では
このようなカタチで示されるけど
前が方
後ろが円なのに
なぜ、この向きなのだ?
後ろが円
なのであれば
こうなるのではないか?
おおお!