行きは東京駅八重洲口行きのバスだったけど
帰りは、新宿からのチケットを取った、
4月24日。
目的地が神田だったので、
東京駅から帰ればよいのだが
噂に聞いていた
『バスタ』という名の巨大バスターミナルがどんなものなのかこの目で見てみたかった。
母に云わせると
『もう、ハワイの空港みたいなのよ。
すごいわよ。
クラクラしちゃうから』
(母は海外はハワイしか知らない。)
新宿駅のバスターミナルは
今までは西口にあって
どの地下通路で行けばどこに何があって
晩ご飯の御菜も買って行けるし
バスの中で飲むビールもツマミも(⁈)
どこでどう買えばよいか知り尽くしていたのに
バスタは西口にあると思い込んでいたわたしに
飛び込んで来たのは
なんだかうら寂しい変わり果てた西口周辺の姿。
そこに、制服を着たおじさんがいたので、
聞いてみたら
地図をくれた。
『バスタは南口ですよ』
え!
南口だったの?
(わたしは南口は苦手だ。
だって、行くたびに変貌している。
新宿は別に、昔からそうオシャレな街でもないし、なにか泥くささが付き纏っていた。その混沌とした感じが、
わたしの恥じていた故郷なのだ。
ところが、最近の南口の変貌ぶりはどうだ。あのハイソな感じは、どこを目指しているのだろう。)
仕方が無い。
地図通りに歩いて行くと、
そびえ立つ要塞のようなビルに
『バスタ新宿』の文字。
ああ、でも
この街には
このようなモノクロームの空と
グレーの直線がよく似合う。
巨大なバスターミナルがあるのだという。
建物に入り、下を見下ろすと
JRから排出される人々の群れ。
あの人々の群れの中のひとりだったのだ。
先ほど、新宿駅構内の連絡通路で
人に足を踏まれた。
そんなことは、生まれて初めてのことである。
その話を母にしたら、大笑いされた。
『13年も離れてたら、お上りさんねえ。』
まさしく、わたしは目を白黒させて
もたもたしていたのだ。
このわたしが、足を踏まれる?
北新宿で生まれ育ち
南新宿で最初の新居を持ったこのわたしが?
あの頃の南口は何にもなくって
小さな雑居ビルの一階には焼き鳥屋さんや珈琲店など。
暗渠となった小さな川の遊歩道は
文化服装学園の生徒の通勤路だった。
スープの冷めない距離ということで決めた新居から実家に帰る道すがら
地下商店街で、TOPSのチョコレートケーキを買って帰ったものだ。
しかしそれは
30年ではきかない昔の話だ。
今では、浦島太郎のように
どこをどうしたらバスに乗れるのか
戸惑うわたしがいて、
空が見えて度肝を抜かれる。
あの、エセ 『エンパイアステートビルディング』の恥ずかしさはどうだろう。
しかし、ずっと昔から建っていたかのように、今はここの象徴となり、人々を見下ろしている。
わかりにくく不親切なこの施設の
わざとらしく微笑む、インフォメーションスタッフの案内で
やっと、わたしの乗るバスのゲートにたどり着いた。
『急に変更になることもあるので、よく見てくださいね。』
そう云われると、実際にバスがくるまで、
生きた心地がしない。
1Aだった。
おそらく、最後までそこは
空けている席なのだろう。
隣はいない。
なんだかホッとする。
バスは走り始める。
郷愁のカケラも残ってはいない。
見事な変貌ぶりだ。
何を目指し
どこへ行こうとしているのだろう。
さあ、帰ろう。
花々の咲き乱れる
あの村へ。