昨日のサル調査の際
気になる看板を見つけました。
『日月神社』
ん???
これって
河口湖にもありましたね。
神社名がとても気になったので
2012年2月17日に初めて行ってみました。
その時のブログ記事がなかなか出てこなかったので、何故かと思ったら
『アメンバー限定記事』にしていたのですね!
謎の日月神社が富士山麓にもあった
本当にたいした記事でもないのに
なぜ、この頃はアメンバー限定記事などにしていたのだろう…
今日は、母親を河口湖の紅葉祭りなどに案内する予定だったのに
またしても、母の予定変更で
友人と、富士吉田でランチを食べることに急遽決まり
ランチのあと、
仕事に行ってしまった友人を見送り
さてさて
家に残した老犬も気になっているのだが
昨日の猿調査のルートにあった
『日月神社』が気になって来ました。
ちょこっと(かなり)回り道だけど
行ってしまおう。
まあ、かなりな好奇心です。
山側に、少々登ったところに
それは、ありました。
小さな鳥居…
そこに
小さな石の祠が
仲良く三つ
並んでいた。
『甲斐国志に(熊野権現)(日月社)(金山権現)同地にあり除地合畝祭礼三月十五日神主早川丹後とある。貞享元年(一六八四)現地に三峰麓より一村開拓移転する。翌年三月十五日尾垂山の中腹に日月神社を創祀し左側に熊野神社、右側に金山神社を配祀し新部落の守護神となす。』
この三つの石祠は
そう言う意味だったのですね。
左、熊野神社
中、日月神社
右、金山神社…
昨日から
ずっと『尾垂山遊歩道』なるものを巡っているのですが
オスイ山、と読んでいたのですが
オタレ山、だったようでした。
その語源は
『尾垂丸尾(オタレマルビ)』から来ているらしいが
マルビは、溶岩流のこと。
ここは溶岩流ではないけれど
富士山から流れた二筋の溶岩流の一致する場所でもあり
あながち、間違いでもないのです。
『日月神社はテントウサマとも呼ばれ、寿町で祀る神社です。祭神は、天照皇大神、金山神、熊野三神です。貞享元年(1684)上暮地村では村のおたれまるび南東側の溶岩台地(尾垂丸尾)を開拓して新屋敷(寿町)としました。そして、翌年に天当山の中腹に日月社を祀り、その左に熊野社、右に金山社を祀って新屋の守り神としました。その後、熊野社と金山社は日月神社に合祀され、現在は日月神社の社殿だけになっています。神社の祭礼は、4月15日で寿町の人々のよって行われています。 』
ふむふむ、
この時、
ここに生えている笹に
不思議な模様を発見したんです。
ん?
わたしは急に
あることを思い出しました。
昨日行った
『日代御子大神社』
『戦争になると、そこの笹に
鉄砲の模様が出てくる』
という、言い伝え…
この場所からほんの少し
戻ったところにある
そこに
ちょっと、寄ってみようかな、と
思い始めました。
続きます。