不二の日と
わたしたちがかってに思っている日
倭文神社と
福地八幡神社というふたつの神社にお参りしたのですが
この日はこれだけでは終わりませんでした。
向原の浅間神社へ行きませんか?
と
chiaさんが言うのです。
距離的なことはわたしにはピンと来ませんが
彼女の生まれ育った地域の浅間さまには
わたしはまだ、訪れたことがありません。
いいですよ~(^^)
これも、流れなのか…
小さいころから境内で遊んでいたのだという
その場所へ、
お邪魔します。
かみさまの庭で
遊ばせて頂く感じなのかな?
わたしにも、産土神の神社はあります。
新宿から延びる青梅街道に程近い
『成子天神社』
そこで姉もわたしも七五三を行った。
なんとね
『成子富士』という
富士塚があるんです。
(富士塚とは、江戸時代に富士山信仰の中で流行った、関東各地に作られた富士山を模したミニチュアの小山のことです。)
そこに登った記憶もあります。
程なく、取り壊されてしまったそうです。
そのことを知ったのは30代くらいのこと。
当時住んでいた目黒区に、目黒富士という富士塚があり、目黒区立の美術館でその展示をしていたのです。
もー、びっくり‼
その話はまた機会があれば。
さて
向原の浅間神社には
蚕影社があり…
(ここは養蚕が盛んだったことから、当然なのかもしれません)
chiaさんは、とても気になるのだ、と言っていました。
そして
やはり、
『松尾神社』!
秦氏の祖霊神をお祀りしています。
こちらは実は
chiaさんの実家のご先祖さまをお祀りしているのだとか。
こちらの『松尾神社由緒』に
気になる記述がありました。
『延暦十九年 福地山の大噴火の際、
阿田津山の裏の麓である 古原の要害の地に …』
と、あり
古原は、彼女もわかる地域名、だけど
阿田津山ってどこでしょう?
あら?
今まで気にならなかったのに…
と、彼女は言います。
背戸山のことかなあ?
いや、もしかしたら
杓子山のことじゃない?
そうしたら
先ほどお参りした
福地八幡神社の由緒にも
その山の名があったのです!
阿田津山と
阿田都山…
きっとそれは同じ山を指しているのに違いない。
それはいったい
何処なんだろう???
またしても謎を孕んだまま
ここを後にすることになるのだろうか?
この場所が古代から
大切な場所であったことを物語っています。
ここからは
縄文の石棒が出土し
子安神社なる真新しい祠が出来ていましたが
もしかしたら
縄文時代は、祭祀が行われて場所かもしれません。
ご神木のケヤキにご挨拶して
今日はここで終わりかと思いきや…
ここの正面からは
あの、M山が見渡せるのです。
あの
八月八日に訪れた…
ならば
あそこが近いはず。
あの
八月八日のスタートを切った場所…
わたしとchiaさんは
同時に同じことを考えていました。
あと一回
続きます。