母の話をする前に
わが家の、少し特異な、家族関係の事を
カミングアウトしなくてはならない。
先ほどの記事で
あれれ?と思った方もいらしたかも知れない。
ここの部分。
『母から、(学徒動員で、川崎にいた。)
『おばちゃん』という、身近な存在から
(当時の父の妻で、深川の家にいた。)
仙台のおじいちゃんから…
(娘(母)の慰安に行くために、深川の妹の家にたまたま仙台から出て来ていた)』
わたしの母と
おばちゃんなる人物と
仙台のおじいちゃんとの関係は
一体、どうなっているのか???
『特異な関係』と言ってみたけど
意外とシンプルなのだ。
『おばちゃん』は、おじいちゃんの妹。
つまりは、わたしの母の叔母である。
そして、少しだけほかの家庭と異なるのは
父は、人生で、ふたりの女性と結婚したことだ。
叔母とその姪と。
姪が、わたしの母、というわけだ。
わたしの母は、仙台の産まれで
おばちゃんも、おじいちゃんも
もちろん、仙台産まれ。
おばちゃんは、あるとき
父のお姉さんの経営している深川の旅館に
『奉公に行った』らしい。
そして
父に、一目惚れ!
その話は、おばちゃんから直接聞かされた。
そして、ふたりは結婚する。
一方、母は仙台の女学校に通い
父は当時、自慢の『叔父さん』であったという。
何しろダンディで、ハリウッドスタアのよう。
常に写真を持ち歩き
学友たちに自慢していたという。
もちろん、その後に自分の夫となるとは
夢にも思ってもいなかった。
そんな頃
太平洋戦争が勃発し
男たちのすべてが戦争に駆り出され
戦局は日を増して悪くなり
仙台の女学校に通っていた母たちも
学徒動員として、駆り出されることとなる。
『負けることがわかっていて
戦争したのよ!』
母は現在、こう語る。
『そんな、あなた、
飛行機の部品工場に生かされたんだけど
鉢巻とか締めて
でも、いきなり素人が作ったって
まともなモノなんて、作れないじゃあ有りませんか。
結局一ヶ月も働いたけど
検査にひとつも受からなかったのよ。』
そのときは、竹槍や長刀で
敵が来たら対抗するんだ、と
練習を真剣にしていたらしい。
そのときは
父は軍人として、どこかへ言っていて、東京にはいなかった。
留守を守るおばちゃんが、ひとり深川の家にいたのだけど
その兄、すなわちわたしの母の父が
川崎の母の慰問に行くために
仙台から上京して
深川の、おばちゃんの家に泊まっていたのだという。
母は、そのことを知らなかった。
その夜
夥しい数の
アメリカの戦闘機が
東京を火の海にするのを
川崎から見ていた、という。
また!落とした‼
また⁉
また!
誰かが
下町が壊滅だ、と言った!
火の海だ!
あの向こうに
叔母がいるのだ!
いったい
どうなってしまうのか???
その頃
『おばちゃん』
つまりは父の前妻は
次々と投下される焼夷弾の
家屋を燃やす煙で
目を遣られて動けなくなっていたらしいのです。
わ!
思いがけず長くなってしまった!
続きます。
1945年3月10日