昨日のお話しの
番外編となります。
昨日
ほうとうを食べながら
スナフキンさんが
何処か神社に御参りしたそうだったので
どこがいいかなあ、とぼんやりと考えていました。
そのほうとう屋さん『花庵』は
山中湖と忍野村のちょうど中間地点。
お帰りになる富士山駅は
忍野村方向になります。
ので
忍野村にあるふたつの浅間神社のどちらかしら?
と、思っていたのです。
内野浅間神社と
忍草浅間神社。
こちら、ふたつの浅間神社の前を
ほぼ毎日わたしは走ります。
それでいて
今年となってからご挨拶もしていないので
どちらかにお連れしましょう、
わたしもご挨拶をしなくては、
と思いました。
にも関わらず!
マイナー、といっては失礼なのですが
何故?
天狗社に御参りしたのでしょうか?
今日も実は昨日の道を通りました。
花庵の前を走り
突き当たりのT字路を右、
そして、
すぐ左。
ほらね
なにも考えてなくても車はそのとおりに行くのに
何故、昨日は
左折せずにまっすぐ行ってしまったのか…
そして
結果、
天狗社にお詣りした。
わたし的には
およびだてされた、と感じております。
ごくごく地元の
大切にされてきた場所。
そんな足元もみてね。
出口稲荷が今年の初参りとなってしまったように。
まず、
足元より…
昨日の記事に書き忘れたことがありました。
そのおヤシロは、地元の厚い信仰を集め
大切に祀られていたようなのです。
忍野村観光公式HPによると…
『社殿は一間社流造り。江戸中期の建築で、社殿には高欄付縁を回し、正面の扉などに美しい彫刻が施されています。10月19日秋の例大祭には獅子神楽の舞や相撲が奉納されて賑わいます。江戸時代には御正体山下宮摩利支天宮権現宮と称したと伝えられます。祭神は武甕槌命(たけみかずちのみこと)。
内野地域では、日清・日露戦争に多くの兵士を送り出しましたが、一人の戦死者も出なかったことから、天狗社のご加護があったと崇められています。ご神体は300年前に稲荷坂の脇から掘り出されたといわれ、その際一緒に出土した丸猫足鉄製の茶釜も今に伝えられています。』
この赤い字の部分を
引っ越してから初めて知ったわけですが
(と、いうよりこのおヤシロの存在も引っ越してから知った。)
へ~!
ふーん…
という感じだったのです。
『ひとりの戦死者も出なかった』!
霊験あらたかということなのでしょう。
祭神は武甕槌。
これは明治以降、神仏分離令からなのでしょう。
それ以前は?
もちろん神仏習合?
本地垂迹説???
それで
青字の部分が気になり出した。
『御正体山下宮摩利支天宮権現宮』‼
御正体山というのは
我が家から見上げる杓子山のさらに後方にあり、丹沢山系に連なる山。
ふふん、
その下宮というわけね。
江戸時代は
摩利支天。
摩利支天って、名前は聞いたことがあるけど
どんなかただっけ?
調べてみました。
手がいっぱい‼
イノシシに乗っているらしい。
(近くにイノシシ食堂もあるし…)
でも
何だか魅力的。
上の画像をお借りしたのは
こちらのブログさんなのだけど
なんと!
昨年、噴火をしてたいへんな被害を齎した
あの、御嶽山にも祀られているらしい。
そして
摩利支天とは
陽炎を神格化した存在のようです。
こちらの画像はすべてステキ!
摩利支天は
武士に尊敬されていた?
そのあたりから
武運の神様、武甕槌命と習合されたのかな?
でも
じゃ、天狗さまはどこから出てきたのだろう。
といっても
だいたいが富士山の祭神、木花咲耶姫のお父様が、大山祇、天狗さんじゃない?
そして
お姉さまの岩永姫も
天狗さんじゃない?
ついでにいえば
富士宮の浅間大社の社紋も
天狗の葉団扇じゃない?
だから
天狗はOKとして
わたしは今、
摩利支天に惹かれちゃってます。
そして
今日も
小正月の道祖神の
キッチュな飾りを見ていると
ネパールやチベットの
密教につながるイメージが湧いてきたのですね。
この土地には
深い、古いとんでもないものが
揺らめいているような気がします。
これはまた
次の機会にゆっくりとね!
(ごめんなさい、完全に脱線しております。)