毎年
元旦に
精進湖の諏訪神社と
河口の浅間神社でダブル初詣をしていたのに
今年は新居に友人たちがお年始にくるので
ダイアモンド富士を見たあと
そそくさと自宅に戻って準備をしてしまいました。
三が日にどちらかで
初詣に行こうと思っていたら
もう、七日!
やはり、地元の
『内野浅間神社』にご挨拶にいかなくては
とも思っておりました。
それがね…
今日、友人に呼ばれたのは
例の、忍野の魚屋さんの食堂。
これは、去年の11月23日の
宇宙湖 一二三ツアーでお世話になったところ。
でね
例によって
わたしが自宅を出て連絡すると
友人はまだ山中湖でグズグズしていたのです。
しょうがないなあ…
早めに魚屋さんに行って
待っていようかなあ?
ん?
まてよ?
気になっていた、
そしてまだ一度も行っていない
出口池の湧水口を見てみたいなあ。
忍野八海の一番にあたる
この『出口池』は
他の七海と離れた場所に存在し
それは、北斗七星に対しての
北極星を現すらしい。
そして、昨年の内山研究員の水巡りでレクチャーして頂いたのだけど
ここだけ!
富士山の湧水‼
忍野八海の中で富士山に一番近い池。
しかも、ここだけが富士山の雪融け水が地下に染み込んだ湧水ということなのです。
その
湧水口をこの目でみたい!
新年早々
また、とんでもない好奇心?
で
魚屋さんに車を置いて
徒歩で、出口池に行ってみたのです。
というのは
忍野八海はどこも個人の敷地内で
全ての駐車場が有料となってしまいました。
ほんの数年前までは
出口池は忍野八海の喧騒から離れた場所にあり
こちらだけはただで駐車出来たのですが
忍野村に引っ越してすぐに気がついたことには
『駐車代300円』とのでかい看板が立てかけられておりました。
あっちゃ~><
今年初の出口池は
やはり神秘的。
いざなわれてみましょうか。
こんな辺鄙な場所なのに
先客がいらっしゃいました。
シルバー世代と思われる男女。
わたしの目的地の
大きなケヤキの下の湧水口に進んでおられます。
向こうもびっくりしたご様子。
わたしはお二人を避けて
神社の方に先に行きました。
神社?
そうなんです。
『出口稲荷社』というお稲荷さまが鎮座しているのです。
そこをそのお二人より先に
お参りする羽目となりました。
ありゃありゃ~
初詣だ!
写真は撮りませんでした。
そこから
お二人と場所をチェンジするように
わたしが湧水口へ
お二人が
出口稲荷社へ
すれ違いざまに
ご主人らしき方が
その奥様らしきかたに話しているのを耳にしました。
『悪い狐が三匹いてね…』
へ~???
悪い狐?
三匹??
目的地の湧水口へ降りてみました。
こんこんとお水が湧いていた。
ありがたい
ありがたい
富士山の雪融け水です。
ここでも
ケヤキ
ケヤキ
気高き木!
それにしても
『悪い狐が三匹』って
何なのだろう???
家に戻り
調べでみました。
『出口池 狐 三匹』
で
その伝説はすぐにヒットしました。
和歌 「あめつちの ひらける時にうこきなき みやまのみづの 出口とふとし」
こちらのブログさんには
自然科学にも裏付けられた最新の情報にも
矛盾のない忍野八海のことが書かれていました。
(こちらからの転載です)
(五穀豊穣、家内安全等を祈願しています。 難蛇とは、サンスクリット語で
歓喜の意味で、国を守り、時節に雨を降らせ、百姓を喜ばせる竜王です。)
天地開闢の昔から変わることなく富士の御山の冷水が
稜々と湧き出でている。この出口池はなんと尊いこと
面積:1,467 m²
(一番大きい池です)
水深:約0.5 m
水温:12.5 ℃
湧水量:0.265 m³/秒
水素イオン濃度:7.2
梨が原溶岩の下から富士山の
雪解け水が湧出しています。
穢れの多いこの世とは関わりなく、
富士伏流水として流れてきた水は
「清浄の霊水」と呼ばれています。
富士山に一番近い池です
湧き水も豊富できれいです。
昔は、生活用水として
流れを利用して、使用されていたようです。
昔、富士山を目指す行者たちは、この池で禊を行いました。
この水を携えて、登ると無事に登頂できるという言い伝えがあります。
不浄を避けることから、出口池は「精進池」とも呼ばれています。
水源は池南方向の富士山梨が原溶岩の
隙間から、伏流水が湧き出し池をつくっています
他のい池から離れ、ひっそりと
豊かな自然を残しています。
手前からの湧水は、
向こうの、一本の木に向かいかなりの勢いで、流れ
富士山梨が原溶岩台地の縁を西に向かい流れ
桂川に流れて合流します。
池の西側には、出口稲荷社
(赤い鳥居が目印)があります
昔この池のほとりに3匹の古狐が
住んでいました。
名前を
「出口の伝兵衛」
「高木のおとら」
「古馬場の久太郎」
といい、古狐は普段から各所に現れ
村人に悪さをしたという
村人は、信神者に祈願し
その狐を神と祀れば
災害を与えない旨のお告げを受け
大正14年9月14日神社を創立し
御霊を遷し祀りました。
以来、古狐の被害はなくなったという。
(転載終わり)