ここの場所のことは
先月の秋分の日に記事にしていました。
さて
この日。
富士山吉田口登山道
0合目にあたる
富士吉田の北口本宮富士浅間神社
一合目、鈴原神宮
二合目、御室浅間神社
アの神を探してその五ここがこの日
10月11日の目的地だったことは
お伝えしていましたが
ここで、まさかの日輪?
は
本当に想定外。
でもね
まだ、こちらの場所の意味について
もう少しだけお話させて下さいね。
標高1700m。
その表示を見て
峯龍さんが驚いていました。
山上ヶ岳と同じだ!
そうなんですか?
あの
修験道の始祖
役行者が開いた大峰山の山上ヶ岳?
大峰山は金峯山と同じであると
始めてこの日教えていただきました。
こりゃすごい!
そして
さらにここの場所は
富士山でありながら
水と深い関係がある場所であることをお伝えしました。
そうなんですね。
火の山である富士山は
水の山でもある。
平安時代に盛んに火を吹いていたであろう
この山は
それから沈静化したあとに
この場所に最初の祠が祀られる。
それは
ここが水の流れる場所だったから!
ここからほんの少し西に行くと
『御室浅間橋』という橋を渡るのです。
橋?
そう、
昔は水が流れていた場所。
橋から見た下流。
溶岩流の上を
水が流れて
溶岩を摩耗して
滑沢と云われる川を形作る。
これが富士の川。
しかし近年になって
人口的に堰堤など作ったために
水の流れがかわり
ここは枯れ沢となった。
昨年、たまたま
御室浅間神社の氏子総代のTさんから聞いた話です。
武田信玄の時代から
勝山村は、ここで水を売ることを許された
、というのです。
だから、吉田口登山道のすべてが富士吉田市なのに
ここだけ、富士河口湖町勝山の飛び地になっている。
そんなお話をすると
峯龍さんは
古くは
やはり瀬織津姫を祀ったのかもしれませんね、とおっしゃるのです。
水が流れていた、
それが重要だった。
古くは
水の湧き出るところに結界をはり
それが神社の元となった、
そんな説もあるそうなのです。
溶岩の窪みには
先週に来た台風18号がもたらしたものなのか
お水が所々に溜まっていました。
ここに祀られているのは
火の神
アサマ
アの神なの?
それとも水の神?
あと一回
続きます。